カメラマンがファインダー越しに見た1995年は、歴史の分岐点だった。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件…など日本社会を揺るがす出来事が相次いだこの年。カメラマンたちはレンズを通して、“時代の転換点”を捉え続けた。
単なる「時代の記録者」としてではなく、「時間と空間を切り取る職人」としてカメラを担ぎ、日本だけではなく、世界各地で起きる出来事に立ち会ったカメラマンたちの記録をここに残す。
カメラマンたちの原点
第一線で“今”を捉え続けてきたカメラマンは、単なる技術者ではなく、真実を伝えるための証言者でもある。レンズを通して見た1995年とは何だったのか。そしてカメラマンという職業の本質とは何か。カメラマンの証言から探っていく。
取材にあたったカメラマンたちの原点は様々だ。ある者は憧れから、またある者は偶然の流れからこの道に進んだ。

「小学6年生の頃にあさま山荘事件があって、平日の昼間に生中継されていて。担任の先生が視聴覚室からテレビを持ってきて、クラス全員がその中継を見ていた」と和田カメラマンは語る。報道カメラマンへの道は、このような子供時代の強烈な印象から始まることもあるのだ。
一方で、安部カメラマンは全く違う道筋をたどった。

「放送作家とか脚本家になりたいと思って、日本大学の芸術学部で学べるって聞いて入学したんですけど、1年生の時に才能ないなって」と自嘲気味に語る。カメラの道に進んだのは「同級生に『カメラが上手い』と褒められた」というきっかけからだった。
報道の使命
オウム真理教による一連の事件は、メディアの役割と限界についても多くの問いを投げかけた。坂本弁護士一家殺害事件から地下鉄サリン事件に至るまで、もっと早く真相を追及できなかったのか…その自問は今も続いている。

齋藤カメラマンは「松本サリン事件の時は違う人を容疑者扱いしていた。そもそもその時点で、きちんと立証して、オウムの可能性でもいいので報じることができれば良かったんじゃないか」と振り返る。
一方、高澤カメラマンは「報道の使命としては、それを伝えなきゃいけないっていうのがある。だけど報道が伝えたら防げたとかいう驕りだとか傲慢な考えみたいなのは持っちゃいけない」と語る。

「報道っていうのはそれを伝えるのが使命。それを受けた視聴者だとか国民、行政、立法、警察がいる。世の中に考えてもらうきっかけを作るのは報道の使命だけど、報道が追求していたら防げたとかいう驕りはない」
災害報道の現場
1995年は阪神・淡路大震災という未曾有の災害も発生した。被災地での取材は、多くのカメラマンにとって忘れがたい経験となった。山崎カメラマンも当時の状況を振り返る。

「現地の被災された方の状況を取材するために向かう訳なんですけども、果たして我々が何の役に立っているのかなということを、常に気にはしていました。中には映されたくない方もいらっしゃいますし、行き場のない怒りをカメラやマイクにぶつける方もいらっしゃった」
2011年3月11日に発生した東日本大震災で、より鮮明になった課題でもある。
安部カメラマンは東日本大震災が起きた後、仙台に拠点を置いて長期取材を行った。

「東京から来る人って、今日一日の取材に来るんですね。だけど被災者の人って、今日一日じゃ終わんないわけですよ。今日一日取材したところで、何も良くならない。東京から来ると、帰れるわけじゃないですか?安全なところに。だから1週間なり何日なり我慢したら帰れるんですけど、私は向こうに拠点を移していたので帰れない」
「1億総カメラマン時代」に変わりゆくカメラマンの役割
SNSやスマートフォンの普及により、誰もが映像を撮影できる時代になった今、プロのカメラマンの役割は、大きく変わりつつある。いわゆる「1億総カメラマン時代」における専門性とは何か。

須田カメラマンは「自分がその現場で見たい知りたいと思ったものを、自分が見に行って、それを撮る。大事なのは、自分の中にプライオリティ(優先順位)を持つこと」
何を撮るか、どう撮るかという判断こそ、プロのカメラマンの証だという。
また、齋藤カメラマンは「時間と空間を切り取る職人」とカメラマンを定義する。

「プロのカメラマンが撮った映像と、スマホの映像、防犯カメラ、ドライブレコーダーといったものは全然違う。映っていると撮るというのは全然違うもの。カメラマンの意思で撮ったものは全然違う」
一方で、山崎カメラマンは「ハンター」という比喩を用いて説明した。

「ターゲットを見つけて狙いを定めてレックボタンを押すというのは、ある意味ハンター的な要素」
目的を持ち、対象を見極め、最適な瞬間を捉える。そこにプロの技があるのだ。
歴史を刻む仕事
キャリアを振り返り、安部カメラマンは「カメラマンというのは歴史だと思う」と語る。12年前にカメラマンを辞めた後も、自分の撮った映像が何度も放送されることがあるという。

「12年前にカメラマンじゃなくなっているのに、いまだに自分の撮った映像が放送されるっていうのは、やっぱりカメラマンは歴史を撮ってるんだな」
未だにカメラマンとして現場に立つ河内田カメラマンは、現役を続ける理由をこう語る。

「外に出て色んなことを見たり知れたりできるから楽しい。色んな情報を得て、楽しい仕事」
同じく現役の山崎カメラマンは、カメラマンは単なる仕事としてだけではなく「自分のアイデンティティ」だと言い切る。

「元々、一度事件取材が嫌でカメラマンという仕事から離れて、結局やっぱりそれは自分の勝手な思い込みだということで戻ってきて。誰かの役に立てるならということで、カメラを続けて」
目の前の映像の先にあるもの
1995年から30年が経過した今、当時の映像を通して、私たちは何を見るべきか。その答えは、カメラマンたちの証言の中にある。
「報道と言えど記録じゃない」と高澤カメラマンは強調する。

「記録映像だけを撮っているわけじゃなく、今ここで起きている現象だけを撮っているわけじゃなくて、この現象でこの中で何を撮るべきか、ここから次につながるものは何か」
カメラマンの仕事は、単に目の前の出来事を映すだけではない。その瞬間の中から何を切り取り、どのような意味を見出すかだ。

30年前を振り返りながら、カメラマンたちは未来も見据えている。技術の進化によって誰もが映像を撮れる時代になっても、和田カメラマンは「心を揺さぶる映像を撮れるかどうか」が本質的に重要だという。

齋藤カメラマンは「伝えたいという思い、訴える力がどれだけ強いかが映像に現れる」と語る。これは時代が変わっても変わらない真理だろう。
1995年という激動の年を通じて、カメラマンたちが捉えた瞬間は、単なる過去の記録ではなく、カメラマンたちが何を見て、何を伝えようとしてきたかの証だった。
激動の1995年を記録したカメラマンたちが語る歴史の瞬間「カメラマンが捉えた1995」
・5月18日(日)18時00分〜19時55分
・BSフジで4K放送