カメラマンがファインダー越しに見た1995年は、歴史の分岐点だった。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件…など日本社会を揺るがす出来事が相次いだこの年。カメラマンたちはレンズを通して、“時代の転換点”を捉え続けた。

単なる「時代の記録者」としてではなく、「時間と空間を切り取る職人」としてカメラを担ぎ、日本だけではなく、世界各地で起きる出来事に立ち会ったカメラマンたちの記録をここに残す。

30年ぶり 上九一色村に

富士山の麓、山梨県富士河口湖町。かつての上九一色村。信仰の名のもとに一大コミュニティが形成されていた場所は、今では静寂に包まれている。

逮捕される麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚
逮捕される麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚
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30年前、日本を震撼させたオウム真理教。一連の凶悪事件の“首謀者”とされる、麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚が逮捕された場所でもある。

その歴史的瞬間を最前線で取材していたのは、当時フジテレビの報道カメラマンだった秋本泰男だ。 

秋本泰男カメラマン
秋本泰男カメラマン

「今日見る富士山はすごく綺麗なんですけど、当時は富士山が綺麗だなっていう記憶は全くないですね。それがちょっと不思議です」

今でこそ何も残っていないが、当時はここに「サティアン」と呼ばれる教団施設が立ち並んでいたのだ。 

24時間体制での取材

1995年3月20日、東京の地下鉄でサリンによる無差別テロ事件が発生。多くの死傷者を出した未曾有の惨事に、日本中が恐怖に包まれた。

捜査は急速にオウム真理教に向かい、警視庁は同年5月16日に、松本智津夫元死刑囚の逮捕に踏み切った。 

秋本泰男カメラマン
秋本泰男カメラマン

「3月から5月の間っていうのはひっきりなしに交代で、青山(当時のオウム真理教東京総本部があった場所)と上九一色村に来ていた。逆に言うと他の仕事の記憶がないですね、その時の」

報道カメラマンたちは24時間体制で、オウム真理教を巡る捜査の進展を、緊張感と共に取材に当たっていた。

「ここに本当に24時間張っていて、信者は夜中は動かないので、ある種独特の静けさがありました」 

1995年5月16日未明も、秋本氏は第6サティアンの前で待機していた。

「サティアンは見えないぐらいガスが、霧が立ち込めていて、これは連行される時に撮影するのは、至難の技だなという意識がありました」

視界が悪い中、警視庁の機動隊の動きが活発になり、何かが起ころうとしていた様子を鮮明に記憶している。

「須田アナウンサーと僕は当日、ここにいたんですけど、須田さんからマイクで『見える?動き見える?』っていう質問が来ていて、『いや、僕の方からはまだ見えないな』みたいなやり取りを、車列が来る前はしていました」 

その日、報道陣は100人以上集まっていた。松本智津夫元死刑囚が連行される瞬間を撮影するために、カメラマンたちは階段状に位置取りをし、「かなりの規模のカメラの砦ができていた」という。それは秋本の長いキャリアの中でも、最大規模の報道陣だったという。 

上九一色村での取材は、技術的にも肉体的にも過酷なものだった。

秋本泰男カメラマン
秋本泰男カメラマン

「5月ぐらいはこの辺、雨が多くて、来る日も来る日も雨で」 

長時間の待機中、雨はカメラマンにとって最大の敵だ。 

「レインコートが雨を弾かなくなって、最後は40Lぐらいのゴミ袋に穴を開けて、レインコートの上からそれを被っていた。我々の仕事はもう一回という映像が撮れないから、その瞬間を撮るために、カメラは非常に大切なものなのです」 

報道の在り方の変化

松本智津夫元死刑囚の逮捕から30年。秋本は、報道の在り方も変化したと感じている。

「今はスマホや防犯カメラがあり、我々が撮る映像より迫力ある映像が現場に残されています。一般の方が持っている映像を、どう集めるかという方向に力が移っているように感じます」 

秋本泰男カメラマン
秋本泰男カメラマン

一方で、本質は変わらないと秋本は強調する。

「我々報道機関が対応する案件に関しては、フェイクもなく真実のみ。地上波のニュースは嘘もなく真実を伝えているので、それをしっかり見極めてほしいです」

1995年という“特別な年”

秋本にとって、1995年は特別な年だった。

「1月に阪神・淡路大震災、その後にオウム真理教の一連の取材。犠牲になった方の数から考えると、阪神・淡路大震災は過去にない大きな震災だったが、オウム事件ではいつ出てくるか、いつ動くかわからない中で、寒さや雨にさらされながら待っていたのは過酷でした」

秋本泰男カメラマン
秋本泰男カメラマン

「報道カメラマンが天職だと自負していたので、休む日もなくいろんな経験、色んな映像と向き合える年でした。息つく暇がない。95年はこんなこともあった、あんなこともあったという、かなり濃い一年でした」

30年ぶりに訪れたかつての上九一色村で、秋本はその変わりように驚いた。

秋本泰男カメラマン
秋本泰男カメラマン

「こんなにまで痕跡がなくなるというのはすごいことだな。逆に言うと、オウム真理教が来る前はこんな感じだったのを、よくあれだけ開拓して十何棟ものサティアンをこの場所に造ったなと」

物理的な痕跡は消えても、一連の事件の記憶と影響は、今もなお日本社会に残り続けている。 

秋本泰男カメラマン
秋本泰男カメラマン

「二度と犠牲者を出さないためにも、我々の残した映像を見てほしいです。若い人はなかなかコミュニケーションが取りづらい世の中でもあるので、周りの人たちのことも考えて暮らしてほしいと願います」 

報道カメラマンとして歴史的瞬間を捉え続けた秋本泰男。その目に映った1995年は、日本社会の大きな転換点だったのだ。

激動の1995年を記録したカメラマンたちが語る歴史の瞬間「カメラマンが捉えた1995」  
・5月18日(日)18時00分〜19時55分  
・BSフジで4K放送

撮影中継取材部
撮影中継取材部