主任検事による任意聴取は8月1日から3日、10日から12日、9月1日から2日と、計8日間行われた。この調べでもXはやはり自分が撃ったと一貫して主張してきた。

「私が1人でアクロシティFポートの吹き抜けのところに行くまでの間に、すでに自分で長官を撃つ気になっていたと思います。その理由は躊躇もなくそこへ行ったからです。
現場に着いた時、砂利の駐車場かどこかで誰かから拳銃で『撃て』と言われ承諾したと思います。Fポートのところに着くと中庭の方から男が来て、その男は私が運転手に渡した灰色のコートを着て、私のカバンを持っていました。
男は私より背が高く年齢は20歳後半くらいで、眼鏡をかけていたかは覚えていません。髪が肩につくかつかないかくらい長かったです」。
銃撃現場を再現
主任検事は灰色コートの左裾から見つかった拳銃発射時についた溶融穴が、なぜ左裾に開いたのかに着目する。
署の3階の道場に銃撃現場を再現した模型を設置し、どの様に銃撃したのかXにアクションを交えて説明させる実況見分を実施した。
これまでの調べでXは、アクロシティFポート南東角で拳銃を構え、右足を植え込みのコンクリートの枠の上に乗せたと言ってきたが、これでは溶融穴が左裾についたことと矛盾する。

Xは「狙撃した姿勢を思い出しながら色々な姿勢をとってみましたが、長官を撃った時の姿勢ははっきり思い出せません。
私は今回逮捕されて、取り調べを受けた際に長官を撃った時、植え込みのコンクリートの枠の上に右足を乗せて撃ったと話しましたが、それでは安定しないように感じます。
色々な姿勢の中で安定したのは両足を地面に置いて、左足を前に出した姿勢と、左足を植え込みの囲いの上に乗せ右足は地上に置いたままの姿勢がとても安定したと感じました」と、肝心なこの部分でも供述を変えてきたのである。
“一貫性のなさ”だけが一貫
Xが言うように、左足が前に出ていなければ拳銃発射時に溶融穴が左裾に開かないと思われた。
ただ、溶融穴が開いたことへの辻褄が合ってきたように見えても、もはやXを実行犯とすることを補強する他の証拠はどこにも見いだせなかった。
これまでの取り調べにおいてXが一貫して行っていることは、何の一貫性もない供述を繰り広げているということだけだった。ブレている部分を追及すると「はっきりと思い出せない」と言ってくる状態も変わらない。他の3人も一貫して容疑を否認している。
X供述は「自分が撃った」とする実行犯と、「実行犯の支援をした」とする逃走支援役の間を行ったり来たりしていた。その時の取調官の筋立てに沿うよう、時に話を合わせてすり寄り、時に違う話をし、故意に風見鶏をしている様に見えた。
この状況に東京地検も手詰まりを感じ、不起訴との判断に至るのである。
【秘録】警察庁長官銃撃事件44に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。