Xの供述
「当日の朝、6時半ごろ、ポケベルにメッセージがあり電話をしましたら男が出て『これから救済にいくので一緒に来て欲しい』と言われ一度は断ったのですが、『本郷1丁目まで来ている。終ったら病院まで送る』と言われ承諾しました。
その際に『人に姿を見られても判らないような、大き目のコートを着てきて下さい。もう1着大きいコートがあったら貸して欲しい』と言われたので灰色のコートを紙袋に入れ、自分はカーキ色のコートを着て出かけました。迎えの車が来ていたので私は助手席に乗り込みました。運転手は「ガヴァフなんとかというホーリーネームの男に似た男」(※端本似の男)でしたが、長髪のカツラと付け髭をしていたので断定はできません。

車内で灰色のコートを紙袋ごと渡しました。
車は本郷郵便局を出発し、アクロシティ近くの路上に停まりました。車を降りると右側の駐車場に早川に似た男と矢野に似た男、その他に数名の男がいました。そこにいた男らに軽く会釈をして前を通った記憶があります。天気は小雨が降っていましたが傘を差すほどではなかったです。

その後はどうしても思い出せないんですが、1人でアクロシティの中庭に行きました。アクロシティの東側階段からスロープを上がると、Eポートの植え込み近くで女性に『おはようございます』と挨拶され、顔を背けて頭を下げました。私はそのままFポートの吹き抜けのところに行きまして、しばらくしてアクロシティの中庭の方からコートを着た男が来て、この男からマスクや帽子、そしてカバンを渡されコートを着替えてくれと言われました。
自分が着ていたカーキ色のコートを脱いで、男が脱いだコートを着ましたが、そのコートは運転手の「ガヴァフなんとかというホーリーネームの男に似た男」(端本似の男)に渡した私の灰色のコートでした。
私が帽子とマスクをつけてコートを着替えると、男から『カバンの中に拳銃が入っている。この男が出てきたら拳銃で撃って救済しろ』と言われ、下見の時に見せられた写真を渡されました。写真に写っていたのは警察庁長官でした。

オウムを陥れようとする敵で、私がこの拳銃で撃つことで救済されると思い長官を撃つことを決心しました。
男は『もうすぐ出てくる』と言って元来た方向に戻って行きました。私は吹き抜けの下でEポート1Fの玄関が見える場所などへあちこち移動していました。長官を撃ったらFポートの中庭側に置いてある自転車に乗って逃げることにしていましたが、その自転車を私がそこに停めたか思い出せません。

格子窓越しに私の方に向かって2人の男がまっすぐ進んできたのが見えました。前を歩いていたのは写真の国松長官で、その後ろを秘書官らしい人が傘を持って歩いていました。
私は中庭の方に移動し、カバンから拳銃を取り出して柱の陰から植え込みのコンクリート枠の上に右足を乗せ両手打ちで長官の左わき腹から背中のあたりを狙って撃ちました。すると長官は前のめりに倒れていったので、続けて2発目を体の真ん中のお尻のあたりを狙って撃つと長官の体が跳ねるような感じで動きました。続いて倒れている体の真ん中を狙って3発目を撃ちました。これも当たったと思います。秘書官が長官の背中の方から両手をまわして体を起こしていたのが見えたので4発目撃ちましたが、これは当たったかどうかわかりませんでした」。
カオスのようなX供述
1996年4月「自分は逃走支援をした」
→1996年5月「自分が撃った」
→1998年「自分は関与していない」
→2002年から2004年逮捕後まで「現場に逃走支援で行った」
→2004年7月23日「自分が撃った」
X供述はこれだけの変遷を見せたことになる。
また供述の中の細かいエピソードには96年の話とここ数年の話が混在していた。一日の取り調べの中で、事件前に何回下見をしたかについて午前と午後とで違う回数を言ったりもする。
あれだけ「受診した」と主張し続けた東大病院についても「病院の外来病棟には行ったが、受付もしていないし、診察も受けていないと思う」と180度供述をひっくり返してきた。
もはやカオスとしか言いようがなかった。
処分保留で釈放
さらにXは例の溶融穴が見つかった灰色のコートについても「端本似の男に貸した」と言い張り、それを行きの車で運転手に預け、現場で受け取って自分が着たと言い出す。パツンパツンで着られなかったコートをである。あきれた取調官が「自分が撃ったのか、逃走支援だったのか、どっちが本当なのかはっきりしろ!!」と激しく詰め寄る場面もあったという。特捜本部幹部は「あいつの頭の中がどうなっているのか、かち割って調べたい」と憤った。
他の3人も一貫して容疑を否認したため調べが進まず、7月28日、4人とも処分保留のまま釈放された。乾坤一擲の逮捕による詰めの調べを、Xが二転三転の供述を、さらに覆すことで攪乱していたのである。
【秘録】警察庁長官銃撃事件43に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。