1877年の西南戦争で最大の激戦となった『田原坂の戦い』。この戦いが終わった3月20日にあわせて、熊本市では毎年戦没者追悼式が開かれている。追悼式には薩摩軍を率いた西郷隆盛と、対立した大久保利通の子孫が初めて参列した。

西南戦争で激戦となった『田原坂の戦い』

民謡・田原坂では、「雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂」と西南戦争で最大の激戦となった『田原坂の戦い』をうたっている。

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17日間に渡り、薩摩軍が防御線を張っていた田原坂で繰り広げられた激戦。『田原坂の戦い』は17日のうち6日間は雨が降った。

1877年3月20日、一気に攻め入る政府軍と死闘を繰り広げた薩摩軍は後退し、田原坂は陥落。西南戦争は終結へと向かった。

西郷と大久保の子孫が初めてそろい参列

熊本市では西南戦争が終結した3月20日に毎年追悼式を開いていて、148年たった2025年3月20日、当時の激戦地となった田原坂公園で行われた追悼式には、遺族や関係者が参列し官軍と薩軍の英霊に静かに祈りを捧げた。

追悼式には西郷隆盛のひ孫・西郷隆文さんと、明治政府で西郷隆盛と対立した大久保利通の玄孫・大久保洋子さんも参列した。

同じ薩摩藩出身で幼馴染だった西郷と大久保。意見が対立し政府を辞めた西郷は、盟友・大久保とたもとを分かち、戦いへと進んだ。

時代を切り開き強い近代国家望んだ2人

西郷隆文さんは「国民のためと言ったら大げさだが、あの時代の戦いがあったから、今の時代が残っているのではないか」と明治の時代に思いをはせた。

また、大久保洋子さんは「彼らが作り上げた新しい日本が、形を変えながらも気持ちは変わらず150年続いてきた。西郷公も利通もここに眠る方たちも『ちゃんと時代に即して自分たちのことを語り継いでいるな』と思っている」と述べた。

共に幕府を倒し、共に明治の時代を切り開いた2人は、強い近代国家を造るという志は同じだった。再来年で西南戦争から150年。

戦いを語り継ぐ参列者は約1万4000人の犠牲者に不戦と平和を誓った。

(テレビ熊本)

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