東日本大震災から14年がたった。秋田市の日本赤十字秋田短期大学で講師を務める及川真一さんは2011年3月11日、地元の仙台市で激しい揺れに襲われた。及川さんは14年たっても変わらず、あの日のこと、そして被害を受けた地域のいまを伝え続けている。
不思議な感覚に襲われ予定変更
3月11日、秋田市内で秋田市社会福祉協議会が開いた講演会。

ここで東日本大震災について話したのは、日赤秋田短大の講師・及川真一さんだ。
2011年3月11日午後2時46分。及川さんは仙台市の自宅にいた。石巻に行こうとしていたところ、家に急に帰りたくなったという及川さん。「不思議な感覚でいまだに記憶があまり結びついてないが、石巻に行くことをやめて高速道路に乗って自宅に着いてあの大震災が起きた」という。

「目指そうとしていた石巻、そして向かっていた道、すべては海の中に全部沈んだ状況」と及川さんはあの日を振り返る。
激しい揺れに襲われ及川さんの自宅は全壊した。
“楽しみながら学ぶ防災”で風化させない
その後、及川さんは秋田市の日赤秋田短大に赴任したが、ふるさとを忘れたことは一度もない。そしてこの14年、防災活動を毎日のように続けている。

「これは僕が東日本大震災で生き残った身として、生涯をかけてやらないといけない」と話す及川さん。秋田市に赴任してからは、介護を教える傍ら、県内のみならず全国で災害や備えについて伝えている。

「防災を学ぶことは難しいとか怖いとか思っている人が多いので、それを変えていかないと東日本大震災の風化を加速させると思う」と語る及川さん。そんな思いから“楽しみながら学ぶ防災”として、アウトドアやキャンプなどと組み合わせた防災活動を続けている。
変わるまち 変わらない思い
秋田テレビの取材班は2021年3月、及川さんとともに震災から10年がたった現地を訪れた。

津波による大きな被害が出た仙台市の荒浜地区は当時、がれきが撤去され整備が進められていた。
取材に訪れた日からさらに4年が過ぎた3月8日、及川さんが荒浜地区を訪れた。

14年前、がれきに覆われていた土地は芝生に整備されていた。
及川さんは「例えば何もなかったところに何かができたり、そこに花が咲いたり、そういった姿をみるだけで震災を伝えていくことに強い意味を感じる」と語る。

一方で、かつては住宅が立ち並んでいたこの場所に再び家が建つことはない。変わるまちの中に、あの日の悲しみや苦しさは色濃く残っている。それは及川さんの中にもある。

海が大好きで、休みのたびにサーフィンをしていた及川さんだが、震災から14年たってもいまだに東北の太平洋側の沿岸部の砂浜に近寄ることもできないし、海に入ることもできない。撮影していても砂浜の手前から踏み出せないのだという。

日赤秋田短大・及川真一さん:
月日が何年かかるか分からないけれど、いつか東北のいつも行っていたサーフポイントでサーフィンするようになったら僕の一歩。サーフィンという大切なものが一歩のきっかけかな。
“生涯をかけて”伝え続ける
14年前の3月11日、及川さんが行くはずだった場所。

石巻市の石ノ森萬画館は復旧され、新たな歴史を歩んでいる。
津波に襲われたり、火災が発生したりした施設は、あの日の姿のまま自然災害の恐ろしさを私たちに伝え続けている。

「経験をしていない人には、まず知ってほしい」と話す及川さん。「宮城にはおいしいコメも海産物もある。観光資源もいっぱいある。ぜひ足を運んでいろいろ見てきてもらって、そこで感じたことを家族や友人に伝えてほしい。これも災害復興の一つ」と訴える。

各地で繰り返される災害。いつ、どこで、どんな時に自分の身にふりかかるか分からない。災害について「知ることをやめない」ということが、私たち一人一人にできることの一つなのではないだろうか。

“生涯をかけて”
及川さんはきょうも、東日本大震災での体験を、そして今のまちの姿を伝えている。
(秋田テレビ)