信者との恋愛も黙認
坂本事件では教団幹部の村井秀夫と早川が犯行時に手袋をしなかったため、指紋からオウムに捜査の手が及ぶことを恐れた麻原は、早川らをヨーロッパに連れて行った。渡航先で麻原は鍋を火にかけて熱し、鍋肌にじかに手を置くよう早川に命じ、指紋を消させようとした。

早川は大やけどを負い、包帯でぐるぐる巻きの状態になって手が使えなくなったので、トイレの際は端本が早川の下の面倒をみたという話もある。その頃から2人は親しい関係だったというのだ。
「自分は殺人者である」との良心の呵責に苛まれていた端本をいかに雁字がらめにするか。麻原は早川を通じ端本を徹底的に甘やかした。

捜査報告書より
「端本はロシアから早川と一緒に帰国(95年3月22日)してから、それまで指示を仰いできた上司にあたる井上(嘉浩)とは距離を置いて単独行動しており、端本が接触した教団信者は判明していない。
端本は『ユーゴスラビアから持ち帰ったニコラ・テスラの資料を渡すために早川と接触していた』と供述しており、早川からポケベルを持たされ頻繁に接触していたとみられる。
またロシアから帰国後に新宿プリンスホテル、池袋サンシャインプリンスホテルなど高級ホテルを転々としていたうえ、早川から寿司、焼き肉、ステーキなどを連日奢ってもらっていたことが双方の供述からも明らかになっている。
しかも教団内で男女交際は「破戒」としてご法度だったが、端本と“オウムシスターズ“小島(仮名)の関係は教祖麻原から明らかに黙認されていた。よって当時、端本は教団から異例の厚遇を受けていたことがわかる」
事件直後の端本と小島の“逢瀬”も、教祖麻原が長官事件の褒美としてそれを許した可能性があったのである。
【秘録】警察庁長官銃撃事件33に続く
【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】
1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。