早稲田大入学→坂本弁護士事件の実行犯

端本悟は1967年生まれで、都立高校から一浪して早稲田大学法学部に入学。学生時代は空手に明け暮れ学内のサークルと道場をかけもちで通っていた。将来は弁護士になることを夢見ていたという。

入信のきっかけは何とオウムに入信した高校時代の友人を脱会させようとしたことだった。オウムの「いかさま」を知るために参加したセミナーで麻原の説法を聞いているうちに、“救済思想”などに逆に感化されてしまい、まさにミイラ取りがミイラになってしまった。

端本悟元死刑囚
端本悟元死刑囚

88年、親の猛反対を押し切って出家する。翌89年に教団内で開催された武道大会で元プロボクサーを倒して優勝したことで、空手の腕前を見込まれ麻原の警備班の一員となった。

豪腕で知られたことで89年11月の坂本弁護士一家殺害事件の際には「弁護士を殴り倒してくれれば良いから」と現場に同行するよう誘われる。

8人が死亡した松本サリン事件 1994年6月
8人が死亡した松本サリン事件 1994年6月

端本は「殺すわけではない」と自分に言い聞かせて実行犯に加わったという。さらに94年の松本サリン事件ではサリン噴霧装置を積んだ車を現場まで運転するなど、教団による主要な凶悪事件に次々と関与していったのである。

98年5月の捜査報告書は、教団が起こした一連の凶悪事件に関与した者のうちの誰かが長官銃撃事件を実行したとみて、端本もその可能性があると指摘していた。

警察庁長官銃撃事件 1995年3月30日
警察庁長官銃撃事件 1995年3月30日

捜査報告書より
「当時の麻原の考えに沿って考えると長官事件の犯人は過去の教団が引き起こした事件、特に重要と言われている事件の被疑者の中にいると思慮され、端本悟は坂本事件、松本サリン事件を実行しており、容疑者の1人として可能性は高いと思われる。長官事件がヴァジラヤーナの一環とすれば尊師もしくはその弟子で救済することがオウム真理教の教義である」

また麻原がどの様に端本をマインドコントロールしていたのかの一端も記されている。