麻原「大地震起こせば捜査攪乱できる」
井上嘉浩は端本らのユーゴスラビア派遣についてこう証言している。
「麻原は教団施設に捜索が入らないのは阪神淡路大震災のおかげだと思っており、もう一度同じくらいの大地震を起こせば捜査を攪乱できると真剣に考えていました。

荒唐無稽なことでしたが、交流電流を発明したニコラ・テスラの地震起爆装置に麻原が関心を寄せて、私以下6人でユーゴスラビア(当時の国名、現在はセルビア共和国)のベオグラードにある『ニコラ・テスラ記念館』に行き、資料を収集するよう命じられたんです。
でも何故か渡航直前で端本悟と交代させられ私は行きませんでした。理由はよくわかりません」。
ここでも井上は外されたということなのか、端本と交代した理由は不可解だ。
ユーゴスラビアでの端本悟元死刑囚
この一行6人が当時のユーゴスラビア・ベオグラードにあるニコラ・テスラ記念館で記念撮影した写真が捜査資料に残されている。

ニコラ・テスラの銅像を前に端本を含む男性らは見慣れぬスーツ姿だ。オウム特有のサマワ服姿とは一変、サラリーマンの一行にも見えてくる。そして皆、若い。その純粋なエネルギーがテロを起こす道具の研究に向けられた。
写真に収まるどこか無邪気さの残る彼らの表情を見ていると、教団の罪深さをあらためて感じる。他の信者が肩を寄せ合っている中で、端本だけ口を真一文字に閉め、直立不動の姿勢をとっていた。麻原からの密命でもあったのだろうか。何やら一行の目付役にも見えてくる。
セルビア日本友好協会が歓迎会
ニコラ・テスラ記念館についた一行6人はさっそく「テスラの偉大な業績と研究に興味を持っているので勉強したい」と記念館側に懇願した。資料整理などのボランティアも買って出たという。なんとセルビア日本友好協会が歓迎会まで開いていた。
会の席上で端本含むオウム信者6人は日本語が話せるユーゴ人に特に警戒していたという。一行に資料閲覧の許可が出たのは3週間後だった。

この時点で6人のうち2人は帰国していたが、残るメンバーで記念館には大型のコンピューターなどが持ち込まれ、例の“地震発生装置”に繋がる小さな電力を大きな電力に変換するジェネレーターや、エネルギーを遠方に飛ばす装置などに関する資料を収集したとみられる。
オウムは、このニコラ・テスラ記念館と公式に連絡を取るため「世界統一通商産業 日本秘密ニコラ・テスラ協会」なる団体を設立させ、赤坂のビルに事務所を構え表札まで出していた。教団幹部の矢野が逮捕された例のビルだ。

矢野の逮捕後、このビルに「ニコラ・テスラ協会」なるものがあり、オウムの関連団体であることが判明するや否や、日本政府はユーゴ側にその事実を通知した。
それを受け、地元メディアが好ましからざるオウムの来訪を記事にして報じたので、ベオグラードでも騒ぎが起きたらしい。まだ現地に残って資料の収集を続けていた信者数名は記念館側に何の挨拶もせず、脱兎のごとく逃走する。記念館には彼らが持ち込んだ大型コンピューターだけが寂しく置き去りになっていたという。