昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!

チャンスに強い内野手として巨人軍を支え、1980年代の4回のリーグ優勝・2回の日本一に貢献した中畑清氏。7年連続ゴールデングラブ賞受賞。労働組合日本プロ野球選手会の初代会長。どんなときでも威勢よく「絶好調!」と叫び続けた“ヤッターマン”に徳光和夫が切り込んだ。

【中編からの続き】

“3試合がサヨナラ”伝説の日本シリーズ

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巨人と西武が対戦した昭和58年の日本シリーズは第7戦までもつれ込み、7試合のうちなんと3試合がサヨナラで決着という球史に残る大熱戦の末、西武が日本一の栄冠を勝ち取った。中畑氏は優秀選手に選ばれる活躍だった。

中畑:
巨人が勝っていれば俺がMVPだった。いい日本シリーズだったんだよ。実は、これにもドラマがあるんだよね。

こう中畑氏が語りだしたのは、巨人が日本一に王手をかけて迎えた第6戦の話。2対1で西武にリードを許していた巨人は9回表に中畑氏の三塁打で3対2と逆転。その裏に西本聖氏がリリーフしたものの1点取られて3対3の同点に。10回裏にマウンドに上がった江川卓氏が金森栄治氏にサヨナラタイムリーを打たれて4対3で敗れた試合だ。
巨人の両エースとして君臨していた西本氏と江川氏だが、この日本シリーズでは、第5戦まで西本氏が2試合に先発して完封勝利と完投勝利と好調だったのに対して、江川氏は2試合に先発して2回6失点と6回3失点と本領を発揮できていなかった。

中畑:
西本が絶好調だったから、「もう西本で決めたい」っていう藤田さんの気持ちがあったんだろうけど、7戦まで考えたら西本を温存して6戦目の抑えは江川で最後の勝負にいってくれたらよかったの。

中畑:
前の日にね、江川と(キャッチャーの)山倉(和博)を呼んで、江川に「明日はお前にいい格好をさせたいから、そういうドラマを演出するから、準備しろよ」って言ってたの。それで、江川は5回からブルペンで準備してたの。

徳光:
そうなんだ。

中畑:
そしたら、僕が逆転三塁打を打って、ほんとにそうなった。3対2になったじゃないですか。「さあ、江川だ」と思ったら、藤田さんが急きょ差し替えちゃったの。「西本、行け」って。あれ、我慢して江川で行ってくれたらな…。江川はそのぐらいやる気だった。

“首位打者”よりも遊びたかった!?

昭和62年、中畑氏はチームメイトの篠塚氏、広島の正田耕三氏、中日の落合博満氏らと激しい首位打者争いを繰り広げる。しかし、シーズンの最後に調子を落として打率が急降下、首位打者は篠塚氏と正田氏が分け合った。

中畑:
これはね、残り5試合、ヒットを1本ずつ打てば首位打者だったの。でも、言い訳かもしれないけど、残り5試合で優勝が決まっちゃった。あとは遊びたかったの。

徳光:
そうか(笑)。

中畑:
やっぱりね、集中力っていうのはすごく大事なんですよ。俺は、自分だけ一生懸命やってるという空気が嫌なの。ノリが悪いんですよ。5試合で1本も打てなかったの。
でも、このメンバーの中で首位打者争いできたっていうのは、やっぱり勲章でしょ。この顔ぶれの中に名前があったっていうだけでもいいと思うね。

江夏豊氏との恐怖体験!?

徳光:
苦手なピッチャーっていうと誰になりますか。

中畑:
江夏さん。江夏さんは苦手とかいうレベルじゃないですね。怖かったですよ。

中畑氏の江夏氏との対戦成績は13打数ノーヒット、5三振と完ぺきに抑え込まれている。

中畑:
江夏さんは、アウトコースに来たボールが、ホームベースの前のところでは外側にいるんですよ。それなのにホームベースの後ろの角をすり抜けてストライク。それが江夏さんのカーブなんです。そのボールに対応するには、踏み込まなきゃいけない。
そうすると、今度はいい具合の真っすぐが来るんです。俺の気持ちを読んでるかのように。そういう配球をしてくるんですよ。

徳光:
なるほど。

中畑:
あるとき、江夏さんがボールを土で真っ黒にするから、ベンチから「ボールを変えてもらえ」って指示があったんです。審判にボールを変えてもらったら、江夏さんが新しいボールをまた泥んこにしながら、ゆったりゆったりこっちに歩いてくる。それで、立ち止まったと思ったら、顔をグッと俺の方に向けて、「若造、ボール変えてくれだぁ。こらっ、10年早いんだよ!」って。

徳光:えーっ。

江夏氏のひと言にビビりあがったという中畑氏
江夏氏のひと言にビビりあがったという中畑氏

中畑:
「おーっ」ってビビりあがっちゃって、思わず「すいません!」って謝って…。それで、インハイのくそボールを振って三球三振で終わりですよ。

速すぎて思わず逃げた!江川卓氏のけん制球

徳光:
江川さんはどうでしたか。

中畑:
江川は怪物ですよ。無二の存在でしょう。投げ方がもともと違うんだから。

徳光:
どういうことですか。

中畑:
江川はボールを滑らせるだけ。ボールを強く投げるには、「ボールを長く持って、最後のリリースの瞬間、指先でボールを切るように投げろ」って教えるわけじゃないですか。(江川)卓は違うんです。トップスピンをかけて、そのまんまで投げる。指先で切らない。だから、あいつのボールは落ちないんですよ。

徳光:
江川さんのようなピッチャーは、ほかに見たことないですか。

中畑:
ほかにあの投げ方をできるやつはいないって。一番存在感のあるピッチャーは、僕の中ではやっぱり江川卓ですね。

徳光:
ピッチャーゴロを捕って一塁への送球とか、けん制球とかはどうでしたか。

中畑:
徳さん、よく聞いてくれました!
あのけん制球で僕は死ぬかと思いました。

徳光:
どういうことですか。

中畑:
札幌円山球場。普段は、山なりのけん制しかしないやつが、ホームベースに投げるよりも速いボールで俺にけん制球を投げやがって…。こっちは用意してませんよ。ハッと見た瞬間に目の前にボールがあった。思わずウオーッて逃げたの。

徳光:
えっ。で、どうしたの。

中畑:
それでベンチに帰ったら、藤田さんから、「ピッチャーのけん制球をよけて逃げるやつがどこにいるんだ!」って。

徳光:
(笑)。

現役最後の日本シリーズで代打ホームラン

1989年、中畑氏は14年の現役生活に別れを告げた。この年、巨人は日本シリーズで近鉄と対戦し、3連敗後の4連勝で8年ぶりの日本一に輝いた。中畑氏は第7戦に代打で登場、現役最後の試合で“引退の花道”となる代打ホームランを放った。

徳光:
この年はサードに復帰しましたよね。

中畑:
最後の年ね。辰ちゃん(原氏)もあんまり状態がよくなかったんで、藤田さんが俺の勢いに懸けたと思うの。シーズン最初に起用してチームを乗っけてくれればいいと。でも、いかんせんね、もうファーストまでボールが届かなかった。

徳光:
えっ、そうなの。

中畑:
一生懸命投げても、(ファーストの)駒田(徳広)にショートバウンドぐらい。クロスプレーだったら全部セカンドに投げてた。そのぐらい変わってましたよ、もう最後の年は。

徳光:
それだけ “勤続疲労”してたってことなんですかね。

中畑:
かもしれないですね。
でも、サードで終わることができたっていうのは、僕にとっては人生の最高の流れ。野球人として幸せな流れを演出してもらいましたね。藤田さんには、ほんとに気を遣ってもらいましたよ。

徳光:
最も記憶に鮮明に残ってるのは、やっぱり近鉄との日本シリーズですよ。

中畑:
それも、シノとの関連があってね、(第7戦の)試合前に篠塚が藤田さんに直訴してたのね。「今日、必ず勝ち試合にしますから、中畑さんをどこかで使ってください」ってね。
(代打ホームランは)今までの中畑ファンというか、「あいつに打たせてやってくれよ」っていう皆さんの気持ちが一つになったパワーだと思う。俺は練習でもホームランは打てなかったんだから。スタンドなんか入んないもん。全然打てなかった。

徳光:
でも、左中間へのすごいホームランでしたよね。

中畑:
ええ、ライナーですよ。神がかりですよ。

労働組合日本プロ野球選手会の設立

徳光:
最後にもうひとついいですか。中畑さんが選手の労組を作ったじゃないですか。初代の会長になって。

中畑:
はい。

徳光:
現役選手と労組の会長を両方するっていうのは大変だったと思うんですけど、選手会を労組にしたことが、FAとかポスティングシステムとか、今日につながってるわけですよね。

中畑:
はい。組合という権利を勝ち取ったことによって、(球団オーナー側が)聞く耳を持ってくれるようになりましたから。

徳光:
ですから、今の選手はある意味で幸せだと思うんですよ。

中畑:
今後、年俸がやっと10億ぐらいになっていくんじゃないですか。そうなったときに初めて、「ああ、プロ野球がナンバーワンのプロスポーツなんだな」って思ってもらえるようになると思うんですよね。

徳光:
そうですよね。

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/8/20より)

「プロ野球レジェン堂」
BSフジ 毎週火曜日午後10時から放送
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