昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!
チャンスに強い内野手として巨人軍を支え、1980年代の4回のリーグ優勝・2回の日本一に貢献した中畑清氏。7年連続ゴールデングラブ賞受賞。労働組合日本プロ野球選手会の初代会長。どんなときでも威勢よく「絶好調!」と叫び続けた“ヤッターマン”に徳光和夫が切り込んだ。
いつも明るさを忘れない中畑氏。このインタビューも中畑氏が“ボケ”を繰り返すところから始まった。
徳光:
キヨシさんは長嶋さんに憧れてプロ野球選手になろうと思ったんですか。
中畑:
もう大体の人がそうでしょう。我々が子どものときの娯楽といったら、野球、相撲くらいしかなかったし…。スポーツで注目される、話題になるっていったら野球、その中でも“長嶋茂雄”っていう存在ですよね。
徳光:
そんな中畑さんの少年時代から野球選手として大成功を収めて今日にいたるまでを裸にしてみたいと思います。
中畑:
(服を脱ごうとしながら)いいですよ。
徳光:
もう、何をやってるんだか(笑)。
キヨシさん、生まれたのは福島県の白河の辺りですよね。
中畑:
白河と郡山の間にある矢吹町という人口1万7000人ぐらいの町です。実は先祖が地元を治めていたお殿様だったんですよ。
徳光:
矢吹の辺りを?
中畑:
矢吹辺り全体のお殿様。トクさん、ちょっと頭が高いなぁ(笑)。
徳光:
失礼しました(笑)。
中畑:
それでいて、ガキのころは、何であんな貧乏な生活してたのかなと思ってね。実家は酪農をやってました。乳搾りです。バットがお乳だとすると、このグリップの部分を下に絞ると、ジュッジュッジュッジュッて乳が出るんですよ。
徳光:
「レジェン堂」でバットを乳に変えた人は初めてです(笑)。
子供のころから長嶋さんに憧れてたわけですか。
中畑:
小学校3年生のときには、自分のランニングの背中に墨で「3」と書いてたり…。とにかく長嶋茂雄になりたいという気持ちになってましたから。
徳光:
じゃあ、少年時代から三塁手。
中畑:
サードは絶対、他の人には守らせなかった。サードで4番。年齢は関係ない。先輩がいたって、その場所は譲らなかったですね。
駒大野球部は「声の大きさ」で合格!?
中畑氏は安積商業高校(現・帝京安積高)から駒澤大学に進学。当時、駒澤大学野球部を指揮していたのは太田誠氏(現・終身名誉監督)だ。34年間で東都リーグ優勝22回、全日本大学野球選手権優勝5回、明治神宮野球大会優勝4回を達成した名将で、中畑氏在学中も、8回のうちリーグ優勝5回、2年のときに明治神宮野球大会優勝、4年のときに全日本大学野球選手権優勝と圧倒的な強さを誇った。
徳光:
駒澤大学からオファーがあったわけでしょ。
中畑:
これも不思議なんですけど、他校の高校の監督をやってた駒澤大学のOBの人が、「中畑君、駒澤のセレクションを受けてみないか」って言ってくれたんです。そのセレクションには百何十人か来たのかな。今でも言われてるんですけど、「その中でも、とにかく声がデカくて目立ってた」って。確かに僕は声だけは誰よりも大きい。それに関しては今でも変わってないんですけどね。
それで入った駒澤大学で太田誠という恩師に出会ったんです。太田さんの考え方はすごくシンプルで、100人いてもスタートラインは全員一緒。そこから、その選手と他の選手との差が何かを、みんなに認めさせるような練習をさせるわけです。秀でてる者は一歩ずつステップアップしていく、チャンスを与えていく、その競争をさせるんですよ。
徳光:
「人間力」を教えてくれたのは太田さんだったとお話しになってましたよね。
中畑:
ええ、私の原点ですね。
徳光:
太田さんは、いろいろ難しい言葉もおっしゃったんですよね。
中畑:“姿即心(すがた すなわち こころ)”。「心が姿に現れる、表に出るよ。ウソはつけないんだよ」ってことを語ってる言葉なんですけど、太田さんの教えの中で好きな言葉ですね。
一本足打法で打撃開眼…2年秋にMVP
徳光:
太田さんから技術的な指導を受けて、それまでと変わったっていうのはどんなところですか。
中畑:
一本足です。ほんとにマンツーマンで練習した。全体練習が終わったあとも1時間ぐらい太田さんの指導を受けたんです。
徳光:
それでどう変わったんですか。
中畑:
自分の人生が変わりました。だって、デビュー戦でホームランを打ちましたもん。神宮でライナーで左中間にぶち込んだ。
徳光:
それは飛距離が伸びたってことですか。
中畑:
飛距離もそうですし、安定感、率も上がった。ばらつきがなくなって対応能力が増えていった。
徳光:
その成果が2年の秋に現れるわけですよね。
中畑:
はい。2年の秋に、初めて最高殊勲選手、MVPを取りましたよ。
徳光:
“中畑清”っていうアイデンティティーは駒澤大学で生まれて、それがプロ野球のオファーにも結び付いていったってことですかね。
中畑:
そこから名前が出て注目される存在にはなりましたからね。
ムード歌謡熱唱で近隣から苦情
中畑氏は大学時代、グラウンドで大活躍していた一方、寮では近隣トラブルを招いたことがあるという。
中畑:
ベランダに出て、クールファイブの歌とかをアカペラで歌うことが俺は好きだったの。グラウンドに向かって歌うの。ひとつの仕事だと思ってやってた。
徳光:
キヨシさんだけじゃなくて、みんながそういう演歌やムード歌謡を歌ってたんですか。
中畑:
僕だけですよ。僕が部屋のベランダから歌ってるだけです。そうすると、ご近所の方々から監督のところに、「中畑がうるさいんですけど」っていう苦情の電話が入るらしいんだよね。
中畑:
監督がマネージャーに「すぐに中畑をやめさせろ」って電話。それで、文句を言いに来たから、俺は頭にきた。「俺の歌をただで聞けるのに何言ってんだ」って、もう1回大きな声で歌ってやったの。
徳光:
変な大学生だね(笑)。
「巨人1位指名」報道に舞い上がり…
徳光:
4年秋にジャイアンツにドラフト3位で指名されたんですけど、3位という順位が不服だったんですよね。
中畑:
みんな勘違いしちゃってるんだけど、本当は僕は不服じゃなかったんですよ。
ドラフト当日の朝、報知新聞が、「巨人、中畑1位指名」って、私の顔写真入りの一面を出したんですよ。でも、本当は俺の評価はそんなになかったんですよ。
徳光:
そうかな。
中畑:
ほんとにそう。(同じ駒澤大学の)平田(薫)、二宮(至)の方が1位で競合するんじゃないかって言われるくらい評価が高かったの。
それで、合宿所がすごかったですよ。マスコミが100人近くいたんじゃないですか。だって、ドラフト1位候補が3人だから。3人が学ラン着て神妙な顔して、さぁドラフトが始まりました。「読売、篠塚利夫、銚子商業」。「誰、それ?」、ガクッみたいな。
俺、もうカチカチになって待ってたのにさ。しかも、初めて聞く名前ですよ。
徳光:
シノさんのことを知らなかったわけですね。
中畑:
全然知らないですよ。
12球団の1位指名が終わって、平田、二宮も出てこないの。3人はどっちらけですよ。マスコミの人は1位指名のところに飛んでかなきゃいけない。もう一回りしても3人とも名前が出ないから、100人近くいたマスコミは何人かずついなくなっていくわけですよ。あの雰囲気は寂しかったな。
こっちは何の感動もなくてね。諦めて会場の奥にあるマネージャー室のこたつに入って将棋をさしたりしてね。そしたら、しらけた雰囲気の中、遠くから「読売、中畑清、駒沢大学」って聞こえた。「ふふん、なんだそれ」って。喜びも何もなかったね。
徳光:
なるほど。
中畑:
あんなになっちゃうんだね。本来の評価は3位ぐらいなのよ。それがあの新聞とあの雰囲気で、あっという間に1位のプライドが生まれちゃった。人間って怖いよね(笑)。
憧れの人・長嶋茂雄氏「瞳はブルー」
ドラフトで3位指名された中畑氏は巨人に入団。結局、ドラフトにかからなかった駒澤大学同級生の平田薫氏と二宮至氏も、太田監督の働きかけによりドラフト外で巨人に入団した。
徳光:
巨人に入って長嶋さんと会ったときはいかがでしたか。
中畑:
今でも忘れられませんね。まともにじっくりお話ができたのは、入団して宮崎のキャンプの初日、篠塚と我々3人(中畑氏、平田氏、二宮氏)が監督室に呼ばれたとき。「君たちは将来のジャイアンツの幹部候補生だからな」って言われた。
そのとき、初めて長嶋さんの顔をじっくり見たんですけど、黒い瞳がね、吸い込まれるようなブルーだったんです。黒じゃないんですよ。
徳光:
分かります。そういうことありますよね。長嶋さんの瞳がブルーだったりグリーンだったりするときが。
ルーキーイヤーに張本勲氏のせいで大目玉!?
中畑:
僕、1年目は張本さんの部屋子だったんですよ。
徳光:
えっ、同じ部屋だったんですか。どうでしたか。
中畑:
最悪ですよ(笑)。もう酷かったです。練習熱心ですけど、遊びも熱心だから。
地方に行ったときの夜に「お前も付いてこい」って言われて…。「ハリさん、あのう、門限なんですけど」。「何言ってんだ。門限なんか俺が一言いえば大丈夫だ。コーチに電話しとくから」って言われて、「ほんとですか」って言いながら、内心、心配でしたよ。
中畑:
そしたら、案の定、次の日の朝、練習始まった瞬間に国松(彰)コーチから、「1年目でなんだ。門限を破ったりして。この野郎! お前、自分の立場を分かってんのか」って、脛をこっつんこっつん蹴られるんだから。「すみません。でも、張本さんが」。「何が張本さんだ。張本に言われたからって、自分から帰ってくるのが当たり前だろう。新人が(こっつん)、新人が(こっつん)、新人が(こっつん)」って(笑)。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 24/8/20より)
【中編に続く】
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