2024年パリオリンピックで柔道男子81kg級連覇を果たした永瀬貴規選手。彼の人柄を象徴する「永瀬すぎる」エピソードや、挫折を乗り越えた秘話、そして意外なゲン担ぎについて語った。
永瀬選手の快挙
KTNは2024年のパリオリンピックで、柔道男子81kg級で史上初の連覇を達成した永瀬貴規選手にインタビューを行った。そこで語られたのは永瀬選手のまっすぐで正直な人柄が浮かび上がるエピソードだった。
この記事の画像(6枚)母校での祝賀セレモニーでは、後輩たちが盛大な拍手で迎え、永瀬選手は技を披露した。
世界の頂点に立ったキレと勢いのある技を間近で見た後輩たちは、オリンピック連覇という偉業を成し遂げた先輩の背中を熱いまなざしで見つめていた。
挫折を乗り越えて
永瀬選手は6歳で柔道を始め、長崎日大高校時代には全国大会で2度優勝した。
オリンピックには3回連続で出場し、東京とパリで連覇を達成した。しかし2017年の世界選手権で右ひざの前十字じん帯を損傷し、大きな挫折を経験した。手術の直後は競技どころか歩くことさえできない状態だったという。この試練が永瀬選手を一回り大きくしたという。
永瀬すぎる人柄と勝負の赤パンツの秘話
パリオリンピックで注目されたのは、永瀬選手の人柄だ。表彰式での真面目で控え目な性格を評してSNSでは「#永瀬すぎる」が話題のワードとなった。母校に凱旋したときも「#永瀬すぎる」一面が。
後輩のために、ひたすらサインを書き続けたという。
永瀬選手:
学校きてからずっと書いていた、全部手書き、1時間くらいかな。400枚は過去最多。最近は何をしても全部永瀬すぎるといわれるように。
永瀬選手には意外なゲン担ぎがある。大事な試合の際には「赤の勝負パンツ」を履いて挑むという。これは幼少期から母が用意してくれたもので、パリでも履いていたという。
永瀬選手:
今も履いている、小さいころから母が勝負パンツと言って赤いパンツを用意した。それからずっと続けている、パリの時もはいていた。
彼は2024年12月、長崎日大高校で行われる「永瀬貴規杯」のために再び帰省する予定だ。
これからも柔の道をひたむきに
柔道をはじめて25年、最大の目標だったオリンピック連覇も実現した。
永瀬選手は2025年春に母校の筑波大学の大学院で指導者の研究を始めることにしていて選手であっても指導者であっても柔の道をまっすぐに進んでいきたいと考えている。
(テレビ長崎)