2024年8月以降、闇バイトを実行役とした強盗事件が首都圏を中心に相次いでいる。10月には横浜市青葉区の住宅で男性が殺害され現金が奪われた。また千葉・市川市では住宅にいた女性が暴行を受けた後に連れ去られるなど、その手口は多様化している。なぜ闇バイトに応募し、凶悪な犯罪に手を染めるのか。実行役として起訴された男の裁判からその手がかりを探る。
実行役のリーダー格「極刑を下して」法廷では涙も
闇バイトによる強盗事件は過去にも世間を震撼させた。2022年から2023年にかけて起きた「ルフィ」を名乗る男らを指示役とする広域強盗事件。そのうち2023年1月に東京・狛江市の住宅で当時90歳の女性をバールで殴って死亡させた強盗致死事件など6件に関わった永田陸人被告(23)の裁判が10月24日に結審した。
「被害者、遺族の気持ちを踏まえた上で極刑を下してください」
闇バイトに自ら応募し、実行役のリーダー格として事件に関わった男は法廷で、涙ながらに事件への後悔を語った。
「やんちゃな悪ガキ」が強盗の実行役に
中学時代は「やんちゃな悪ガキ」だったという永田被告。友人も多かったが、「やんちゃが過ぎて」友人をなくす経験をする。その経験から真面目に生活することを決意した永田被告は、教師から介護に関わるボランティアを紹介されたことをきっかけに介護職に就くことを夢見るようになる。勉強にも励み、テストで高得点を取ったときは「嬉しかった」と話した。
介護を学べる高校を受験し、入学。永田被告の家庭は裕福ではなかったため、アルバイトをして通学費を稼ぎ、家計を助けていたという。しかし給与面などから介護職への憧れが薄れ、高校を中退。解体業の仕事に就き、真面目に働いた。
その後、20歳頃から永田被告はギャンブルにのめり込むようになる。競艇やパチンコ、賭け麻雀などをやり、消費者金融やヤミ金で借金をするようになった。
指示役は「格上の犯罪者」
そして2022年11月に最初の事件を起こす。この時永田被告は21歳だった。
石川県内で土木作業員として働いていた永田被告は競艇で作った借金返済のため、SNSで闇バイトを探すようになり、秘匿性の高いメッセージアプリ「テレグラム」を通じて指示役の「キム」と知り合った。
キムから紹介された最初の“案件”は11月14日に起きた神奈川・秦野市での空き巣。
事件発生の1週間ほど前に「家の中に1000万ある」などと誘いを受けた永田被告は参加することを決め、共犯者とともに留守の住宅に侵入し腕時計など64点を盗んだ。
永田被告は裁判の中で「(子ども時代から)犯罪が身近で常に隣り合わせだった。盗みは中1から常習的に行ってきたので抵抗は全くなかった」と明かした上で、指示役に逆らえなかったということはなく「全て自分の意思でやった」と犯行当時の心境を振り返っている。
また指示役の「キム」については「頭が良く説得力もあり私より格上の犯罪者だなと思った」と語った。
モンキーレンチを後頭部にフルスイング
2件目の“案件”は翌月、2022年12月5日に起きた東京・中野区での強盗。指示役から「中野区の一軒家に3000万ある」などと誘われ永田被告は再び参加を決めた。
この記事の画像(7枚)共犯者らと宅配業者を装って住宅に侵入し、住人の顔面を殴るなどの暴行を加えて現金のありかを聞き出し、約3200万円を奪った。永田被告に対する報酬は150万円だったという。
その数週間後、永田被告は再び指示役から「金庫に3000万ある」などと誘われ、広島の時計買い取り店兼住宅の強盗への参加を決める。この時、永田被告は、中野の事件で被害者から激しく抵抗されたことから住人を「制圧」するための道具が必要だと考え、指示役にモンキーレンチを用意することを提案した。
12月21日、広島駅で共犯者らと合流した永田被告は車で強盗現場に向かった。その車内では指示役から、実行役全員で暴行を加えること、モンキーレンチで殴ること、暴行を加えなければ報酬は渡さないことなどが指示されたという。
この事件の実行役は6人。別の実行役2人が宅配業者を装いインターホンを鳴らし、玄関口で応答した母親を押し倒した。その後に永田被告らも押し入り住宅の2階へ上がり、2階にいた父親と息子の制圧を試みた。永田被告と他の実行犯2人は息子を制圧しようとしたが抵抗にあい、「まずいな」と感じた永田被告はズボンのポケットに入れていたモンキーレンチを取り出し、息子の後頭部を殴った。
永田被告:
モンキーレンチをフルスイングで、後頭部を殴りつけました。モンキーレンチが反動で後ろに飛んでいきました。
永田被告:
これまでの経験で、もっと大きなモンキーレンチで人の顎を殴ったことがあり、そのとき相手は気絶しました。首から上を殴ることが重要です。軽めの脳しんとうを起こして、気絶すると分かっているので、その方が楽だと思っていました。(そのような経験から)モンキーレンチでぶん殴っても死なないという認識でした。
殴られた息子は頭部から大量に出血。その姿を見た永田被告は「やっちゃったかもしれないと思った」というが、父親に金庫を開けさせ現金を奪い逃走した。
息子は現在も高次脳機能障害等の後遺症が残っているという。
2023年1月。4件目の“案件”は千葉・大網白里市のリサイクルショップの強盗だった。
指示役から「店主は老人1人、現金と金を奪う」などと誘われた永田被告は、実行役に自身の友人を誘い1月12日に千葉駅から車で店へと向かった。
店舗のドアから押し入り店主に暴行を加えたが、警報器が鳴り出すなどしたため現金などを奪わずに逃走した。
ヤミ金への返済日が迫っていたという永田被告だが、金を奪うことに失敗し当てにしていた報酬を得られなかったため、次の“案件”を用意するよう指示役に依頼した。その案件が、東京・狛江市の強盗致死事件だった。
「金あると確信」90歳女性を殴打するよう指示
事件が起きたのは1月19日。事前に犯行に用いるためのバールや結束バンドなどを用意した永田被告らは、狛江市の住宅に宅配業者を装って侵入。その際、実行役はそれぞれイヤホンを装着してテレグラムを通話状態にし、指示役からの指示をリアルタイムで受けられる状態になっていた。
事件当時、在宅していたのは90歳の女性だけだった。実行役らは女性を結束バンドで緊縛した後、現金のありかを聞き出そうとしたり、家の中を物色したりしていたという。
地下室を物色していたという永田被告は、指示役の「キム」から「ババアが金のありかを言わない。一発喝を入れてきて」と言われ、女性が縛られている場所へ向かった。
永田被告:
女性は仰向けで手首を結束バンドで縛られていた。私は左手で女性の胸ぐらをつかみ、右手で左顎を殴った。(他の実行役に)さっさと金のありかを吐かせろ、と言って地下に戻った。
しかしその後も女性が現金のありかを話すことはなく、その反応に疑問を持った永田被告は、指示役の「キム」に女性が本当に現金のありかを知っているのかを確認。それに対し「キム」は知っている、と答えたという。
永田被告:
金は絶対にあると確信したので、女性の肝が据わってるから本気でやろうと思いました。
指示役「あちゃー人違いですね」 被害者は24カ所骨折
そして永田被告は他の実行役にバールで女性を殴るよう指示し、6~8回ほど背中や脇などをバールを用いて殴打させた。
その力は想像よりも強いもので、「マジか」と思ったという永田被告だが、自らの「メンツがつぶれる」ことを恐れ、殴る実行役を「やるやん!」と褒めたと語っている。
女性は弱々しい声で「なんでこんなことするの。やめて」などと助けを求めたが、その後も永田被告らは暴行を繰り返した。永田被告は「娘と息子も殺すぞ。家を燃やすぞ」などと脅迫したが、それでも現金のありかを聞き出すことはできなかった。
永田被告:
自分の拷問のレベルはすごかったので、女性の肝が据わってるか、何も知らないかのどっちかだと思いました。キムさんに「(女性が)本当に金のありかを知ってるんですか」と聞いたら「知ってますよ。写真を送ってください」と言われた。
永田被告はその指示通り、女性の写真を「キム」に送信。すると「キム」は「あちゃー人違いですね」と笑ったという。これに対して「報酬はあるのか」と激怒した永田被告に「キム」は別の案件を用意する、と答えた。
結局現金は見つからず、永田被告らは腕時計など4点を奪って逃走。その後、女性が亡くなったことを「キム」から聞かされ、「やっぱりな」と思ったという永田被告。検察の指摘などによると、女性の体には24カ所の骨折があったという。
永田被告:
後戻りできないなと思いました。僕は独特の倫理観があるんですけど、復讐するための殺しなら良いと思っています。全く関係のない堅気の人を殺すことは人間じゃない、クズです。なので終わったな、と思いました。自分自身の存在、考え方も終わったな、と思いました。
「犯罪の道でしか…」指示役に対する憧れも
その後も「犯罪のことしか考えていなかった」という永田被告は、「キム」から“別の案件”として東京・足立区での強盗事件を提案され、狛江で事件を起こした翌日に現場へと向かった。
この事件では永田被告は実行役としてではなく、運転・監視役として参加。その理由について、永田被告はこう話す。
永田被告:
広島で起こした事件で(被害者が)意識不明になって、狛江の事件では死んでしまったというのをニュースで見て「現場に行って殺すつもりじゃなかったのにこうなった、俺のせいじゃん」と思いました。自分が行ったらまた同じことになるんじゃないかと思いました。もし自分がリーダーじゃなかったらこんなことになってなかったかな、と思いました。だから実行役は嫌だなと思いました。
広島の事件を起こして以降、「犯罪の道でしか生きていくことができない」と考えていた永田被告は「犯罪の胴元、キムのような指示役になろう」という思いを深めていたという。
しかしその思いは達成されることはなかった。
永田被告は東京・足立区の現場付近で、実行役らを車から降ろし待機していたところを警察官から職務質問され、逮捕された。
「死刑がふさわしい」涙ながらに語った後悔
数々の犯行について「被害者の気持ちを一切考えずにやった」と語った永田被告だが、その心境には変化もあった。
永田被告:
強盗殺人は無期または死刑で最低30年は刑務所にいると聞いたので、死んだ方がマシだと死刑を目指しました。
当初、事件の取り調べの中で反省を示さず悪い態度をとることで「死刑を目指した」という永田被告。しかし、捜査員や拘置所職員との関わりのほか、犯罪被害者や加害者家族に関する本や面談などを通して「被害者が失ったものの大きさを考えるようになった」という。
そして法廷では声を詰まらせながら次のように語った。
永田被告:
広島の被害者の調書に、息子は飲みに行くことや釣りやテニスが好きだったのに今はもうできなくなっている。未来を奪った犯人を許せない、と書いてあった。悔しくて悔しくてたまらない、と述べられていました。
言葉にならないです。ごめんなさいしか言えないです。
また、最初に犯罪に手を染めたのは中学時代という永田被告は、裁判員から後悔していることを聞かれ、涙を流しながら次のように答えた。
永田被告:
中学一年生が分岐点です。やり直せるなら中一に戻ってやり直したい。こんなに人のことを傷つけるだけの人生なんて嫌でした。
検察側は論告で「組織性・計画性が高く、極めて残虐な犯行」と指摘したうえで、「平穏な生活を突如奪われた被害者の恐怖、無念さ、苦しさは計り知れない」などと述べ、永田被告に無期懲役を求刑した。
一方、弁護側は、永田被告が借金返済のため「闇バイト」に応募したと説明した上で「指示役が実行役をわずかな餌で釣り、大きなリスクを負わせ駒として利用していたことは明らか」などと訴え有期刑を求めた。
そして永田被告は最終意見陳述で、自らの量刑について「死刑がふさわしい」と涙ながらに語った。
永田被告:
極刑を強く望みます。責任を果たすには死刑が一番ふさわしいと強く望みます。
また裁判員に対しても次のように訴えた。
永田被告:
裁判員裁判は被害者の被害感情が一番尊重されます。被害者の本当に苦しんでいる気持ちをよく踏まえた上で判決を下してください。私は日本の裁判制度に不服があります。加害者の人権に重きを置かれすぎていると思います。被害者の遺族の気持ちを踏まえたうえで、極刑を下してください。そのことを心からお願い申し上げます。
判決は11月7日に言い渡される。
(社会部司法担当・空閑悠)