「選手がこんなにお願いしているのに、無碍に扱うのはどうなんだと腹が立ちましたよ。なんなんだこの人はと。こんなコーチにはならないと、後年、指導者になってからは心に決めていましたね。それで、僕は監督のウォーリー与那嶺(要)に『野球生命を賭ける打席です。行かせてください!』と頭を下げたんです」

広野の意気込みを買った与那嶺は「オーケー!広野行け!」と送り出した。

「二軍に行くときは引退を決意していた」

演出家で古典演劇評論家である戸部銀作は、逆転サヨナラ満塁本塁打を2本打った広野に、かつてこう言ったことがあった。

「広野君、君は他の人が絶対やれないことを2度もやったんだよ。もう一度打ったら、その時には新聞記者を集めて記者会見をしなさい。今日限りで引退します。神様のお告げがあったから、僕は『逆転満塁サヨナラ本塁打教』の教祖様になりますと言いなさい」

戸部に冗談混じりに言われていた広野だったが、みずからのけじめとしてこの場面を待っていたのである。

「真っ直ぐが来て、弾き返したんです。人生でも指折りの会心の当たりだったんですが、ライトライナーでアウトです。これで、自分の野球人生に悔いはないとスッキリしました。

試合後、与那嶺さんに『明日からファームに行ってまいります』と言い、二軍に行ったんです。二軍に行くときには、引退を決意していました。ただ、二軍の選手のお手本になるように練習はしっかりしていましたよ」

広野が引退を表明した後、中日は20年ぶりの優勝を果たした。

10月12日の大洋とのダブルヘッダーに連勝して中日が優勝を決めると、同日V10を阻止された巨人の長嶋茂雄が引退を表明。

中日の優勝が霞むほどの衝撃が日本中に走ったのだった。

これにより、翌13日、後楽園球場での中日との今季最終戦ダブルヘッダーが、長嶋茂雄の引退試合となるはずだった。しかし、これまた広野へ不思議な巡り合わせが回ってくる。

予定変更で長嶋の引退試合に出場

この試合、球界のスターである長嶋最後の花道であるから、当然中日もフルメンバーで臨む予定だった。

しかし、13日はあいにくの雨となり、試合は14日にスライド。この順延によって本来出場するはずではなかった広野が、長嶋の引退試合に出場することになるのだ。

著者のインタビューに応じた広野さん(写真提供/広野功)
著者のインタビューに応じた広野さん(写真提供/広野功)

「14日は中日が名古屋で優勝パレードをする予定だったのです。これは道路を封鎖したりするから、日程を動かせない。主力メンバーは、当然パレードに参加しなければならんのです。だから実は、長嶋さんの引退試合は主力メンバーや与那嶺監督は出ていないのです。僕は主力ではないから、パレードには出ない。だから、14日の試合に出場することができたわけ」

広野は14日ダブルヘッダーの第二試合目、長嶋茂雄最後の試合に五番・一塁でフル出場した。

「最後の打席は、なんとか長嶋さんのいる三塁に打ちたいと思って、捕手の吉田孝司に『外角の真っ直ぐを頼む』と言ったんですが、結果はセカンドゴロでした。ただ、途中でサードフライは打てたので、花は添えられたかなと。あと、長嶋さんの最後の打席は併殺打なんですが、そのボールは一塁の僕が受けました」

これが広野にとっても現役最後の試合であった。巨人に移籍した頃、長嶋は広野をたいそう可愛がったという。

長嶋は六大学で対戦経験がある広野の長兄のことを覚えており、移籍当初「君が孜の弟か」と声をかけてくれたのがきかっけだ。