1989年のドラフト5位で阪神に入団してから2年間は二軍でじっくり鍛えられ、3年目となる92年にメキメキと頭角を現してきた。

そのルックスと奇想天外な考え方は、それまでの阪神にはないキャラクターとして多くの阪神ファンの心をつかみ、一躍スターダムにのし上がっていった。

嫌な気持ちを味わってほしくないという思い

けれども、そこから先は決して順風満帆だったとはいえない。

1995年に当時の監督だった藤田平と衝突し、この年のオフには「野球のセンスがないって見切った」と言って、突然の引退宣言をしてしまう。

この発言はのちに撤回されたが、その後は打撃では思うように成績が上がらず、1997年のオールスターでは、阪神ファンのみならずセ・リーグの応援団から応援をボイコットされる。「新庄帰れ」コールまで起こった。

それにとどまらず、「新庄剛志 そんな成績で出場するな 恥を知れ」と掲げた横断幕までスタンドに現れた。これほどまでに屈辱的な出来事はない。

新庄自身、当時の心境を引退会見のときにこう話している。

「あのときのショックな気持ちはいまだに忘れない。選手は一生懸命にプレーしているので、たとえ不調であっても応援してほしい」

野球を真面目にプレーし、思うような結果が出ていなかっただけである。それにもかかわらず、味方であったはずの阪神ファンからもこのような仕打ちを受けたのだから、プライドはズタズタになったに違いない。

だからであろう、選手に対して厳しいことを言っても、決して腐すような言い方はしない。

新井監督と同様、自身が体験した嫌な思いを、選手には味わってほしくないと考えた末の発言をするあたり、彼の歩んできた過去の苦労の一端がうかがえる気がした。

『ミスタードラゴンズの失敗』(扶桑社新書)

江本孟紀
現在はプロ野球解説者として活動。ベストセラーとなった『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(ベストセラーズ)、『阪神タイガースぶっちゃけ話』(清談社Publico)をはじめ著書は80冊を超える

江本孟紀
江本孟紀

1947年高知県生まれ。高知商業高校、法政大学、熊谷組(社会人野球)を経て、71年東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)入団。その年、南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)移籍、76年阪神タイガースに移籍し、81年現役引退。プロ通算成績は113勝126敗19セーブ。防御率3.52、開幕投手6回、オールスター選出5回、ボーク日本記録。92年参議院議員初当選。2001年1月参議院初代内閣委員長就任。2期12年務め、04年参議院議員離職。現在はサンケイスポーツ、フジテレビ、ニッポン放送を中心にプロ野球解説者として活動。2017年秋の叙勲で旭日中綬章受章。アメリカ独立リーグ初の日本人チーム・サムライベアーズ副コミッショナー・総監督、クラブチーム・京都ファイアーバーズを立ち上げ総監督、タイ王国ナショナルベースボールチーム総監督として北京五輪アジア予選出場など球界の底辺拡大・発展に努めてきた。ベストセラーとなった『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(ベストセラーズ)、『阪神タイガースぶっちゃけ話』(清談社Publico)をはじめ著書は80冊を超える。