2021年に中日ドラゴンズの監督に就任した立浪和義さん。

現役時代には“ミスタードラゴンズ”と呼ばれ、カリスマ的存在から、監督就任の際はファンからも大きな期待を受けていた。

しかし、思うような結果を出すことができず、2024年9月に退任を表明した。

野球解説者の江本孟紀さんは著書『ミスタードラゴンズの失敗』(扶桑社新書)で、現役時代に活躍した選手だからと言って、プロ野球で監督になれるかどうかは異なるという考えを示している。江本さんならではの分析と検証について、一部抜粋・再編集して紹介する。

プロ野球の歴史でも証明されている

ドラゴンズに限らず、日本のプロ野球にありがちなのが、現役時代のネームバリューで監督を選びがちなことだ。

実績はあるにこしたことがないかもしれない。だが、それによって結果を残せるとは限らない。過去のプロ野球の歴史でも証明されている。

2000本安打を放った、あるいは200勝したという理由で監督に据えても、肝心の成績がついて来ない。

現役時代にスターであった人こそ監督は不向き(画像:イメージ)
現役時代にスターであった人こそ監督は不向き(画像:イメージ)
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就任前に三顧の礼で迎えたはずのフロントも、成績の低迷が続けばタイミングを見計らい、「はい、お疲れさまでした」と肩を叩いて別の人材を用意する……。

どこの球団とは言わないが、こうした流れがまかり通ったままでは、何年かかってもチームは強くならない。

むしろ現役時代にスター選手であった人ほど、監督としては不向きだと考えたほうがいい。

スター選手は才能に加え、それに裏付けされた技術が備わっていたから、データを必要とせず、細かなチームプレーとも無縁のところで戦っていた。

そのため自分がいざ指揮官になると、緻密な野球ができない。ひどい場合は、作戦の重要性をまるで理解しようとせず、相手の戦術を読むこともできなければ、有効な作戦を考案することもできない。

さらに言えば、スター選手は、自分ができていたことを「みんなもできる」と思い込んでしまっているパターンも多い。