もし郡司が中日にいたままだったらどうなっていただろうか。

一つ言えるのは、立浪監督にサードで起用するという発想はなかった―。これは断言できる。

現役時代に屈辱を味わった新庄監督

新庄監督と立浪監督は、3年目になって両者の「監督の差」が浮き彫りになったが、なぜ新庄は監督として成果を出すことができたのか。

私は大きく二つの理由があると見ている。

一つは、同じように現役引退後コーチ経験がないまま監督に就任した広島の新井(貴浩)監督と同様に、「現役時代に味わった苦労の差」によるところが大きい。

たしかに新庄監督は立浪監督と同様、現役引退後はコーチとして一度もユニフォームを着た経験がない。彼が引退したのは2006年であることを考えると、現場へのブランクは立浪監督よりも3年長い。

15年もの間、日本ハムを除く11球団から指導者としてのオファーがなかったところに、突如として日本ハムからの監督就任要請。世間も驚いただろうが、球界の人間もあっと言わせるには十分すぎるほどのインパクトがあった。

一方で、新庄監督の現役時代に目を向けると、決してエリートだったわけではないことがわかる。