7月7月の七夕。街に七夕の飾りが揺れる季節がやってきた。短冊に込められた願い事は、時代とともに移り変わる子供たちの夢や希望、そして街の姿を映し出す鏡のようだ。KTNに残るニュース映像をもとに、1978年から2024年の46年間の七夕の風景の変遷をたどる。
昭和から平成へ、移りゆく願い事
1978年、佐世保市の四ヶ町アーケードに七夕まつりの賑わいが広がっていた。飾りには子供たちに人気のアニメキャラクターやピンクレディーの姿が目立ち、当時の流行を如実に表していた。
この記事の画像(10枚)1984年には、銀行の窓口担当者が浴衣姿で業務に当たる姿も見られ、七夕ムードを盛り上げていた。
1987年、長崎市内の幼稚園では、子供たちの素直な願い事が短冊を彩った。
「走るのが速くなるように」「ドレスがほしい」「ラジコンがほしい」など、幼い心に芽生えた夢が綴られていた。
1992年には、雲仙普賢岳の噴火災害の影響で切実な願いが込められた七夕もあった。1991年に起きた雲仙普賢岳噴火災害で避難生活を余儀なくされた島原市立第5小は、第3小の仮設校舎で授業を受けていて、この年は第5小と第3小の合同の七夕集会が開かれた。集会では「普賢岳がおさまりますように」「早くうちに帰りたい」など、災害に見舞われた町の子供たちの切なる願いがあった。
集会で児童の一人は、「早く普賢がおさまってもとの生活に戻ってほしい」と思いの丈を発表した。
新たな時代の七夕、地域色豊かな取り組み
2000年代に入ると、七夕の楽しみ方にも変化が見られるようになった。
2005年には長崎ペンギン水族館に「七夕水槽」が登場し、「シモフリタナバタウオ」や「ギンガハゼ」など、七夕にちなんだ名前の魚たちが泳ぐ姿が人気を集めた。
7月7日は七夕だが、実は「そうめんの日」でもある。そうめんの産地の長崎・南島原市では、「そうめんの日」に合わせて、市内全ての小中学校の給食でそうめんが提供された。
そうめんの給食は2011年から毎年出ていて、14回目となる2024年も七夕を前に提供された。
2013年には「走る男」「走男(ソーメン)」にかけて、島原半島の人々が南島原市から長崎市までの84kmを駅伝方式でたすきリレーした。11時間をかけてこの日長崎市でゴール。走男(ソーメン)たちは、島原半島の手延べそうめんを全速力でPRした。
変わりゆく長崎と子供たちの夢
そして2024年、子供たちの願い事はさらに多様化している。「ネコちゃんになりたい」という可愛らしい願いから、「インドミナス・レックスになれますように」という映画「ジュラシックワールド」に出てくる架空の恐竜の名前まで、様々だ。
長崎市中心部の再開発の影響か、「変わる長崎のまち」を意識した願い事も見られるようになった。長崎市のくるみ北幼稚園では、「Vファーレン長崎のサッカー選手になれますように」「トレインエンジニアになりたい」「ボートレーサーになりたい」など、具体的な職業への憧れを抱く子供たちの姿が印象的だった。
七夕の短冊は時代を映す鏡だ。46年の歳月を経て、子供たちの願い事は変わりつつも、夢や希望を抱く純粋な心は変わらない。
来年、子供たちはまちや暮らしからどんなことを感じ、どんな願い事を書くことになるのだろうか。長崎の七夕は、これからも時代とともに移り変わり、新たな物語を紡いでいくに違いない。
(テレビ長崎)