KTN(テレビ長崎)に残るアーカイブ映像とともに、長崎の歴史を振り返る「タイムトラベル長崎」。デザインと実用性を兼ね備え、全国的に高い人気を集める「波佐見焼」。400年を超える歴史を誇る窯業の町には、決して歩みを止めることのない“波佐見スピリット”があった。
全国から熱い視線「波佐見焼」
毎年4月末からのゴールデンウィークに開催される恒例イベント「波佐見陶器まつり」。4月29日から5月5日の日程で行われた2024年のまつり期間中には、長崎県の内外から約25万人が訪れた。
この記事の画像(15枚)もともと「波佐見陶器まつり」は当時の皇太子殿下、現在の上皇さまのご成婚を記念して昭和34年1959年に始まった。今ではゴールデンウィークの人気イベントだが、当初は「4月上旬」に行われていた。
1979年、波佐見焼は通産省の「伝統的工芸品」に指定され、陶磁器と農業を一体化した町づくりは全国から注目されていた。
職人の技術は「産業を生み出す種」としても、国の内外から熱い視線を受け南米・ガイアナなどから「焼き物留学生」も受け入れていた。しかし、販路拡大や機械化などを急速に進めた先に「落とし穴」があった。消費が冷え込み「生産過剰」に。倒産する業者が相次ぎ県や町が経営相談に乗り出す事態となった。
消費不況を打開するための秘策
ただ不況が長引く中でも波佐見の歩みは止まらなかった。
熱に強く摩耗しにくいなどの特性をもつ新たな原料「ニューセラミックス」の研究へ。
給食の食器の安全性に世間の関心が集まり、学校に磁器製の給食食器が導入された。
KTN記者:強化磁器製の給食の食器は、これまでの磁器に比べると3倍くらいの強度があるということで実際に割れないのか高さ1メートルぐらいの所から落としてみると…割れません!
当時、主流だったアルマイトに比べると温かみがあり子供たちにも好評だった。
児童(1987年取材当時):茶碗の柄がかわいいから食べるのが楽しみになった
児童:食べているとおいしい。見た目がよい
強度が高く「割れにくい」ことから「ワレニッカ」と名付けられた新たな食器には引き合いが相次ぎ、波佐見の挑戦に再びスポットが当たり始めた。
斬新なアイデア×高い技術
1990年、高速道路の開通をきっかけに「陶器まつり」は4月下旬から始まる大型連休にお引越しした。30万人を集める長崎県内でも屈指の人気イベントとなった。一方、消費不況や中国などからの安い製品におされ生産量は1991年をピークに右肩下がり。それでも競争を勝ち抜こうと「脱食器」のアイデアが次々と生み出されていく。
2005年以降は、時代や生活スタイルに合わせた様々なアイデアを打ち出し、ヒット商品を生み出してきた。
「アサヒ陶研」松尾修爾 専務(当時):ごはんは毎日食べる、おいしく炊けるなら売れるという確信があった
炊飯器の中に入れるとご飯がふっくら仕上がるという陶磁器は約4万個売れヒット商品に。
2006年には繰り返し使える環境に優しい陶磁器製のボトルを開発。開発には10年もかかったが、代々受け継がれてきた波佐見焼の高い技術と不屈の精神が販売へと突き動かす原動力だった。
「清山」瀬井和文さん(当時):ボトルの蓋と本体がきちんとしまって中の容器のものが漏れないというのが最低の条件なので、そこにたどりつくまでに研磨の方法だとか色々なところで工夫はした
2007年には、斬新なアイデアで生活スタイルに合わせた陶磁器も生まれた。
電子レンジで一膳分のご飯が炊けるものや、簡単に即席ラーメンができるどんぶりも。
KTN記者:電子レンジで作った即席ラーメン、いただきます。麺もいい具合!これならゆですぎたりなどの失敗がない
町にないものを作れば魅力が変わる
さらに機能とデザインを両立した生活に寄り添う食器は海外のニーズも捉える。
波佐見焼振興会 児玉盛介 会長(当時):みんなが買えるくらいの価格でちゃんとした商品量を提供できる産地はなかなかない。そこに我々が生きていける隙間は十分にあると考えて、次の世代の人たちにがんばってもらいたい
新型コロナの感染拡大による数々のハードルも乗り越え、波佐見の挑戦は器づくりにとどまらない。
波佐見焼の地元メーカーが私設の公園を作った。公園内にはカフェやメーカーの直営店も併設していて、子供も大人も楽しめる憩いの場となっている。
「マルヒロ」馬場匡平さん:町にないものをつくれれば町の魅力が変わるのではないか。そこで公園をつくった
400年を超える歴史の裏には、常に挑戦を続ける町の軌跡があった。
(テレビ長崎)