パリ五輪の陸上選手団のキャプテンを務めるのが静岡県出身の飯塚翔太 選手だ。陸上短距離の個人種目で4大会連続の五輪出場は日本史上初の快挙。長年に渡り第一線で活躍を続ける彼の強さの秘密は、ウナギと闘争心あふれる“荒い”走りにある。
「気づいたら4回目」

7月22日にフランスに向け旅立った陸上・日本選手団。
自身4度目の大舞台に人生初のキャプテンとして臨むのが、静岡県御前崎市出身で陸上男子200mの飯塚翔太選手(33)だ。
飯塚選手は「気づいたら4回目になっていた。回数を重ねるたびに、スタートラインに立てることに、よりありがたい気持ちがわいてきて、自分がまだ走っていられることのありがたさを最近はつくづく感じます」と、4回連続出場の感想を話す。

2024年で33歳を迎えたベテランは、2016年リオ五輪の4×100mリレーでは第2走者として銀メダル獲得に貢献。
パリ五輪に向けては1年間ケガなく安定した成績を残し続け、世界ランキングで代表の座を勝ち取り、陸上短距離・個人種目では史上初の4大会連続出場の偉業を達成した。
短距離では朝原宣治さんも4大会連続で出場しているが、このうち1回はリレーのみで、個人種目での4大会連続は飯塚選手が初めてとなり、パリ五輪でも活躍が期待される。
アドバイスが効いた?ホープが復活
そんな飯塚選手の強さの秘密を取材を続けている小松建太アナウンサーが分析する。

飯塚選手は2023年末にテレビ静岡の特別番組で初めてナビゲーターに挑んだ。
放送では陸上100mで活躍が期待される富士市立高校の小針陽菜さんとの対談でメディア対応に関する悩みを打ち明けられ、自らの経験に基づきアドバイス。
小針さんは高校1年の時にインターハイで準優勝、国体で優勝したが、その後はケガに悩まされていた。

小針陽菜さん:
ケガをして、どうしても気持ち的に取材を受けたくない時のメディア対応はどうしていますか?

飯塚翔太 選手:
難しいよね。気持ち的にあまり受けたくなかったら、正直に言ったほうが良い。求められているものに応えようと対応しすぎると、どんどん自分へのハードルが上がって後でつらくなる。絶対に対応は自分らしくやる
※アドバイスを受けた小針さんは高校3年生で出場した2024年インターハイの100mで優勝
飯塚選手はいつだって自然体だ。大学生だったロンドン五輪の頃までは少し背伸びをしてしまうこともあったそうだが、自然体で臨むことで安定したブレない強さを身に着けた。
荒く闘争心あふれる走りを

飯塚選手が東京五輪以降、掲げたテーマが“荒さ”だ。
パリに出発する直前の取材でも「昔のガムシャラまではいかないですけど、走りの荒さというか必死さみたいなものをフォームに出したい」と“荒さ”にこだわっていた。
洗練されたフォームでまとまるのではなく、荒く闘争心あふれる走りが過去の自分を超えて、五輪200mで決勝進出を果たすために必要不可欠だと信じている。
勝負飯はウナギ

そのワイルドさの源がウナギだ。
飯塚選手の勝負飯で、国内の試合の際は2~3日前に必ずウナギを食べるそうだ。「好きなものを食べて元気に行くのが一番大事」と話す。
2024年の土用の丑の日は7月24日で、22日にパリに向けて旅立った飯塚選手は出国前の15日にウナギを食べたという。
故郷・静岡への思い
ロンドン五輪から12年間アスリートとしてトップをひた走る飯塚選手。
そんな彼の根底にあるのが故郷への思いだ。飯塚選手は「日本を背負う前に、まずは静岡を背負うという気持ちはある」と“静岡愛”を口にする。

小学3年生から陸上を始め、藤枝明誠高校で汗を流したルーツともいえる静岡県への愛情は深く、毎年シーズンの初めのレースに地元記録会を選んだり、定期的に陸上教室を行ったりして、これまでも恩返しを続けてきた。

さらに、スポーツイベントや合宿を静岡県に誘致する県運営の団体「スポーツコミッション静岡」のアンバサダーに2023年から就任し、日本選手権直後の7月3日にも練習の合間を縫ってPRイベントに参加。それだけ地元・静岡を大切にしている。
「パリを次のステップへ」

五輪出場は4度目ながら、パリを「次のステップへつなぎたい」とまだまだ世界トップレベルでの戦いを見据えている飯塚選手。
結果だけでない収穫をつかむために…まだ見ぬ道のりを飯塚選手が切り開き続ける。

飯塚翔太 選手:
(目標は)自己ベスト。パフォーマンスも含めて、タイムだけでなく(ベストに)匹敵するパフォーマンスを出したい。とにかくベストを尽くしてきます
これまで五輪に4大会連続で出場したのは、ハンマー投げの室伏広治さんや短距離の朝原宜治さんなど、そうそうたる面々だ。飯塚選手が出場する男子200m予選は日本時間の8月6日未明に行われる。
(テレビ静岡)