国内唯一の“耐久”レースシリーズ、「スーパー耐久」の2024シーズンが4月20日(土)、開幕した。
スーパー耐久とは、市販車ベースの改造した車で、2~3名のドライバーが長距離(時間)を走る“耐久”形式のレースカテゴリー。国内のトップドライバーからアマチュアドライバーまで、広く門戸を広げる日本最大級の参加型耐久レースだ。
このスーパー耐久に「レジェンド」と呼ばれるモーターアスリートがいる。
浅野武夫、71歳。
この記事の画像(6枚)茨城県・桜川市を拠点とするレーシングチーム「浅野レーシング」の設立者であり、何と現役のレーシングドライバー。
そのドライビングテクニックは衰えを知らず、若手ドライバーにも引けをとらない速さを見せている。
モータースポーツに情熱を燃やす浅野が、兄弟3人でレースを始めたのは1975年。
ワークスと呼ばれる自動車メーカーが運営する一般的なチームとは違い、完全なプライベートチーム。自分たちでマシンを作り、サーキットを走らせる、その魅力にはまった。工場には珍しい車がずらり。
「この真ん中の車は、トヨタがワンメイクレースを始めたのですが、それで初代チャンピオンになった車。作っているのが楽しい。あとは、それを試して見ないと」
浅野は70歳を超えた今でも、現役の自動車整備士。
今も、当時と変わらぬ「レースへの想い」を持ち続けている。
「基本的に、いろんなものを考えながら自分で作っています。この車両自体は、ほとんど自分の手作りかな。1人で(笑)」
そして迎えた4月21日(日)の決勝。
レース前のピットでハッピーバースデーの歌声が聞こえた。浅野を慕うレース仲間が集まり、71歳の誕生日を祝福。
50年目となる節目のシーズンが幕を開けた。
チームメートの三上和美は、こう称える。
「私が武夫さんと知り合ったのが19歳の時で。今47歳なんですけど、鉄人過ぎる。私より全然体力があるし、速いし、うまい。いつも楽しんで走っているところが、すごく尊敬しています」
浅野も仲間からの祝福に表情が緩む。
「チームの皆が慕ってくれているのが本当に嬉しい。皆のためにも努力したい」
宮城県・スポーツランドSUGOで行われた開幕戦は、4時間耐久レース。
今回は、1番手・伊藤慎之典、2番手・三上和美、3番手・浅野と3人のドライバーでつなぎ、浅野が最後にハンドルを握り、チェッカーフラッグを目指す。
レース開始から1時間20分。
第1ドライバー・伊藤から第2ドライバー・三上へ交代。
しかし、この直後、トラブル。三上のチーム無線。
「エンジンかかっているけど車が前に進まない。壊れた」
まさかのアクシデント。
浅野も頭を抱える。
原因不明のトラブルでリタイアかと思われたその時。
チームのメカニックたちは、まだレースを諦めていなかった。
ピットまで運ばれてきた車をジャッキアップして懸命に修理。そして10分後、レースに復帰。
メカニックに聞くと。
「何とかなりました。ドライブシャフトが折れていました。これを交換しました」
懸命の作業で息を吹き返したマシン。
致命的なタイムロスとなったが、周回を重ねていく。そしてチームスタッフが。
「80周目にピットに入れます」
浅野の甥で、チーム監督の浅野真吾も期待を込める。
「(武夫さんに)渡りそうですね。なんとかいい誕生日にしたいです」
レースは残り1時間20分。
71歳、浅野が車に乗り込み、ついにハンドルを握る。
チーム一丸でつないだ一本のバトン。浅野もその思いに応える。
しかし、レース残り10分で緊急ピットイン。
再び、同じドライブシャフトのトラブルが発生した。メカニックが浅野に伝える。
「チェッカーだけ受けましょう。17時13分だとギリギリになっちゃうんで、チェッカー受けられないので…」
応急処置にとどめ、浅野はコースに復帰。
しかし、マシンのスピードはまったく上がらず。果たして、チェッカーフラッグに間に合うのか?
何とかフィニッシュ。
ST-4クラスで浅野レーシングは6位という成績を残した。
浅野も安堵。そして既に次戦を見据えている。
「これだけのスタッフみんなが協力してくれている中、ここで諦めるわけには行かないですよね。頑張って、次は表彰台に立ちたいと思います。自分はドライバーとしてやっているけど、車を作るのが楽しくて。その結果をサーキットで表現したい」
モータースポーツに情熱を燃やす浅野武夫、71歳。
50年目のシーズンは始まったばかりだ。
(映像提供:STO)
「MONDAY MOTOR SPORT」
フジテレビ系「FNN Live News α」内で放送
毎週月曜23時40分~
スーパー耐久2024
5月24日(金)~26(日)第2戦
24時間レース・富士スピードウェイ
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トヨタイムズ
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