来年11月に、国内で初めて開催予定の、聴覚障がいのあるアスリートのための国際大会「デフリンピック」。この地をボウリングで目指す女子高校生が、仙台市内にいる。「同じ障がいがある子供たちに勇気を届けたい」。強い思いをもって、金メダル獲得を狙う。
横にジェット機が飛んでいても聞こえない
この記事の画像(16枚)仙台市出身の高校3年生・佐藤杏奈さん(18)。生まれつき聴覚に重度の障がいがあり、6歳と13歳のとき2度にわたり、耳の奥に「人工内耳」と呼ばれる、音の振動を電気信号にかえて、伝える装置を付ける手術を受けた。
今は「人工内耳」が無いと全く聞こえない状態で、仮に横にジェット機が飛んでいたとしても、気が付かないくらいだという。
静寂に包まれる デフリンピックで金メダルを
中学1年生から本格的にボウリングを始めた佐藤さん。人工内耳をつけて健常者の大会に出場。高校1年生のときに、東北総合体育大会で個人4位となり、翌年は2位となるなど実力を伸ばし、2年前からデフボウリングに専念するようになった。
そんな佐藤さんが今、目指すのは、聴覚障がい者による国際大会、デフリンピック。「デフボウリング」は、ボウリングと基本的なルールは変わらないが、競技中は人工内耳や補聴器を外す必要がある。
そのため、音でタイミングを計ることができなくなり、ボウリングとはまた違った難しさがあるという。
「人工内耳を外すと全く音の情報が無いので、慣れるまで時間がかかり大変だった」と話す佐藤さん。佐藤さんを取り巻く世界は競技中、深い静寂に包まれる。
ボールがかわいい 父親と二人三脚で
幼い頃から耳のことで他の子より、言葉の数も少なく、皆に助けてもらった存在で、友達に引っ張られるようなタイプだったという佐藤さん。
支えるのは、ボウリングでフルスコアを出す腕前のアマチュアボーラーで、今は娘の指導者となった、父の昭仁さんだ。
「(父は)何でも言える関係のコーチとプレイヤーみたいな。いい関係だと思う」と、佐藤さんはうれしそうに話してくれた。
そんな佐藤さんがボウリングを始めたきっかけは、小学6年生の時に、クリマスプレゼントとして両親にねだった、かわいいボールを見つけたことだった。
昭仁さんによると、それまでは、ボウリング場に行っても、マンガを読んでいたりゲームしていたり、ただ昭仁さんについて行くだけだったというが、プレゼントを機に自分でもボウリングをやるようになったという。
経験した世界の景色 残してきた結果
そうしてボウリングを始め、デフボウリングに転向した佐藤さん。2022年と2023年に、全国ろうあ者体育大会で連続優勝を果たしたほか、2月に行われた宮城県スポーツ合同表彰式では、2年連続で功績賞も受賞。
大きな転機になったのは、2023年にドイツで開催された世界選手権に、日本代表として出場したこと。親元から離れ、初めて参加した海外での大会で、団体初となる銀メダルの獲得にも貢献した。
母の恵美さんは「進路もドイツに行った後にいろんなことを自分で組み立てて考えるようになった」と話す。
そして、佐藤さんは、この春から東北福祉大学に進学することを決めた。デフボウリングの世界大会を経験したことで、自分と同じような障がいがある人の支援ができないか、考えるようになったという。
「聴覚支援学校の先生を目指してみようかなと。特別支援も学べるし、先生も目指せるから福祉大にした」と、佐藤さんは将来の夢を語る。
障がいがある子供たちに元気を...
佐藤さんは、高校に通うかたわら、週一回のペースで練習に励み、ボウリングを通じて出会った仲間と一緒に切磋琢磨している。佐藤さん以外は健常者で、年齢もばらばらだ。
一緒に練習する仲間たちは「常に笑顔で人々を楽しませるようなボウリングをしている」「投げ方もきれいなフォームをしているので参考になる」と、佐藤さんの実力に一目置いている。
佐藤さんがデフリンピックに出場し金メダル獲得に挑戦する理由は、同じ障がいがある子供たちに勇気を届けたいという強い思いから。そのためには、今後の国内の大会で好成績を残すことが必要だ。
佐藤さんは「障がいがある子供たちに私が活躍している姿を見せて、障がいがあるからできないというわけでなく、頑張ればできるということを教えたい」と笑顔で話した。
春には大学生となる佐藤さん。夢の実現に向けてまい進を誓う。
(仙台放送)