X(旧ツイッター)で“中の人”と呼ばれる、企業などの公式アカウント担当者。島根・松江市の印判店の“中の人”もそのひとりだ。ありえない特注の印鑑をXに次々投稿すると「バズりハンコ屋」として知られるようになり、自社商品のPRに大きく貢献した。そんな、中の人にリアルで会ってみた。
町の小さなハンコ屋の投稿が大バズリ
大手企業から個人のお店まで、広報や宣伝のツールとしてSNSの活用は欠かせない。「X」では、企業などの公式アカウント担当者は“中の人”とも呼ばれ、インフルエンサーのように高い認知度を持つこともある。
そんな中、島根・松江市の印判店「永江印祥堂」の中の人が、「X」へ驚きの画像を投稿した。
この記事の画像(14枚)こんにちは。島根県にある小さなハンコ屋が1.2センチの印鑑の中で限界の文字数に挑戦しています。今回は87文字に挑戦。しっかり読めていますね!これが職人の技術なんです!すごいでしょ。 (永江印祥堂(島根・松江市)“中の人”の投稿)
1円玉よりも小さい、直径1.2センチの円の中には、何と87文字も収められていた。
印鑑の製造・販売を手がけるこの会社の投稿は、多くの「いいね」を獲得。広く拡散され、一躍、その存在を知られることになった。この大バズりを始め、数々の投稿がバズり、永江印祥堂は、X上で「バズりハンコ屋」と呼ばれるほどになった。
全国から注目されるバズり投稿を連発する担当者“中の人”に会ってみた。
SNS未経験だった“中の人”
永江印祥堂の“中の人”:
ふとしたタイミングで、何となく、これを出しておこうみたいな。投稿は本当に気まぐれ
顔出しNGという条件で取材に応じてくれた“中の人”は、30代の女性社員。普段は広報などを担当しているという。
永江印祥堂がSNSの活用を始めたのは2年半ほど前、コロナ禍がきっかけだった。リアル店舗の売り上げの落ち込みを、ネット通販で補おうと考えたそうだ。しかし…
「技術的な面で自信はあったが、それを全国の皆さまに広げる、伝えるすべがなかった」と永江印祥堂で営業を統括する野津寛部長は話す。
そこで、自社製の印鑑の良さを広く知ってもらうため、SNSの活用を始めることにした。
「なぜ私が選ばれたのか、とにかく不思議な気持ちで、右も左もわからない状態でSNSの運用を始めた」という“中の人”。それまでSNSを使った経験がなかったにもかかわらず、担当者に指名されたそうだ。
暗中模索のスタート…しかし、それでも試行錯誤を繰り返すうち、投稿が「バズる」ようになったという。
最初にバズった時は「冷や汗が出るような、怖い気持ちに近かった。びっくりして感情が追いつかなかった」そうだが、徐々にフォロワーが伸び、今では4万6000を数えるまでに。(2024年1月16日現在)
無茶ぶりにベテラン職人も“やりがい”
地方企業としては異例のフォロワー数を誇る永江印祥堂の「X」公式アカウント。今、中の人が力を入れるのが、驚くべき職人技の世界だ。
寿限無さん、ご注文の品です (永江印祥堂(島根・松江市)“中の人”の投稿)
小さなハンコに今度は「寿限無」の全文108文字。文字を詰め込んだ技術がSNSで注目され、称賛を浴びている。
「私がおもしろいんじゃないかなと、ひらめいたものを職人に直談判している」と教えてくれた中の人だが、「とんでもないハンコの提案だったりすると、職人に断られたりもしている」そうだ。
ちなみに、これまでにどんなハンコが職人に断られたのだろうか?
永江印祥堂の“中の人”:
絶対に押せないハンコとか
職人が断るのも、まあ、無理がないが、そんな無茶ぶりまでして、自社の技術を伝えたいという中の人の”広報魂”もひしひしと感じさせるエピソードだ。
そんな中の人の無茶ぶりが「X」でまたも話題になっている。それが「円周率のハンコ」だ。
160文字が、円の中にぎっしりと刻まれている。
永江印祥堂の“中の人”:
私は、職人さんたちに「円周率のハンコを彫ってほしいです、限界くらいまで」ってお願いして、それに職人さんたちが乗ってくださって、160文字まで彫ってくれたという感じ。私は多分、もっといけると思っているんですけど
中の人の圧、いや、熱に対し、この道20年以上の職人・村尾直樹さんは「プレッシャーはある」と答えつつも、さすがはベテラン、「チャレンジしがいがある」と意気に感じているようだ。まさに、プレッシャーをやりがいに変えて、中の人の無茶ぶりにも応えている。
バズリ効果で売り上げ「うなぎのぼり」
2年半に渡る“中の人”の奮闘は、ネット通販での売り上げにも貢献。
営業統括の野津寛部長は「バズったおかげで、今ではうなぎのぼりの状況。オンラインの売り上げは約3.5倍に伸びた」と効果を感じていると話した。
「バズりハンコ屋」の“中の人”、実際に会ってみると、無茶ぶりで職人の限界を超えさせ、会社の売上アップにも貢献する「やり手社員」の姿があった。
(TSKさんいん中央テレビ)