1月1日、石川・珠洲市宝立町で、地震後に起きた激しい津波の様子が撮影されていた。地震発生から12分後に大津波警報が出されたが、津波は予想以上の早さで到達していた。専門家は、日本海での地震は津波の到達が早いのが特徴だと指摘する。

大津波警報“直後に浸水” 濁流があっという間に…

激しく流れ込む津波。海はその奥にあるが、住宅の2階に避難した撮影者の後方からも濁流が押し寄せていた。撮影場所の後ろ側には漁港があり、津波が回り込んだのか、2つの流れがぶつかり合い、うねるように周囲を取り囲んだ。

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「車も流れていっちゃう…」。撮影者は力なくつぶやいた。

渦を巻くように、辺りを飲み込んだ津波。なんとか避難できたという女性に話を聞くと、思わぬ事実が語られた。

津波の被害に遭った宝立町の住民:
3回目の地震が終わった後に大津波警報だったので、主人は納屋から(避難用の)自転車を出そうとしたんですけど、出せるような状態ではなく、もう波が一波来ていた。

大津波警報が出たのは、地震発生から12分後の午後4時22分。その直後、すでに津波で浸水し始めていたというのだ。慌てて自宅の2階に避難し、カメラを回したのが午後4時34分。あっという間に濁流が押し寄せていたことが分かる。

日本海側の津波「到達早い」

想像を超える早さで到達した津波。その影響もあってか、各地で撮影された映像には、逃げ遅れそうになる人たちの姿があった。

津波の到達が早かった理由のひとつが、震源となる断層の位置だ。

東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授:
東日本大震災の時には沿岸部から100km以上離れていたので、地震発生から場所によっては(津波到達まで)1時間でした。しかし今回はすぐ横なので、日本海での地震・津波の特徴なんですけども、やはり到達が早い。

今村教授は、震源の断層が沿岸に近く津波が早く到達するため、大津波警報が出てからでは避難が間に合わないと指摘する。

1993年の北海道南西沖地震では、震源に近い奥尻島に発生数分後に巨大津波が襲い、奥尻町だけで172人の死者を出す大惨事となった。

珠洲市のタクシー運転手が撮影した映像では、津波が川を上ってくる様子が捉えられていた。大津波警報が出された直後、海沿いで進めなくなった車を乗り捨て、避難先の近くから撮影したものだ。大量のがれきに混じって、自らが乗り捨てたタクシーも流されてきた。津波は、すさまじい力で川をも遡上(そじょう)していた。

93歳女性が124時間ぶりに救出

一方、懸命な捜索は続いている。

6日夜、珠洲市の倒壊した住宅で行われていた救出活動。隊員が「頑張るよ、お母さん!」声をかける。現地で支援活動をしているNPO団体「ピースウィンズ・ジャパン」が撮影した映像だ。

「わかりますか?わかる?」と声をかけられ、運び出されたのは93歳の女性。124時間ぶりに救出された。

救出された女性の息子:
(毎日)『母ちゃん』って呼んでいた。(救出後に)『その声は聞こえた?』と言ったら、首振っていたんで聞こえていたみたい。

倒壊した住宅には、女性の息子の妻もいたが、死亡が確認されたという。

救出された女性の息子:
1つはよかったんだけど、1つは残念です。何もしてやることができなかったので、余計残念です。

気象庁は「今後1カ月程度、最大震度5強程度以上の地震に注意してください」と、さらなる被害の拡大に注意を呼びかけている。
(「イット!」 1月8日放送より)

<フジネットワーク サザエさん募金>能登半島地震救援

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