2023年9月13日、特定危険指定暴力団「五代目工藤会」トップ2人の控訴審初公判。会長の田上不美夫被告(67)は、一審の全面無罪主張から一転、4つの市民襲撃事件の内、総裁の野村悟被告(76)の下腹部の施術などを担当した女性看護師が襲われた事件と16年前に射殺された元漁協組合長の孫である歯科医師の男性が襲われた2つの事件について「独断で指示した」と関与を認めた。

ナンバー2の田上被告とはどんな人物なのか―。

下の組員にも人望があった田上被告

いまから45年前(1978年1月)に撮影された映像。捜査員に連行されている人物が映っている。

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後に特定危険指定暴力団「五代目工藤会」会長になる田上不美夫被告(当時21歳)だ。捜査資料によると、田上被告が工藤会に入ったのは16歳のとき。

当時、工藤会最大勢力、「田中組」傘下の組員になった田上被告は、24歳のときに敵対する組事務所に猟銃を発砲するなど、若い頃から暴力団社会で“実績”を積んでいった。

1990年、田上被告は野村悟被告率いる「三代目田中組」のナンバー2、若頭に昇格した。工藤会捜査に携わった元福岡県警の藪正孝氏によるとこの人事は異例だったという。

元福岡県警・藪正孝氏:
田上会長は工藤会田中組中島組、そこのナンバー2の若頭をしていた。それを中島組の上の田中組の若頭に大抜擢した。それは野村総裁がした。ヤクザ、暴力団としての実績もあるし、田上会長は、結構、下の組員にも人気がある、人望がある。能力を野村総裁は高く買ったのではないか

県警の捜査に激怒、その理由は…

2000年、工藤会の四代目会長を継承した野村被告は「田中組」の後継者に、そして組織序列3位の理事長に田上被告を指名した。

そして、2011年、田上被告は野村被告から工藤会の五代目会長の座を譲り受けた。野村被告に引き立てられ工藤会最高幹部になった田上被告。野村被告には絶対的忠誠を誓っていたという。

元福岡県警・藪正孝氏:
20年前になりますけど、野村総裁の自宅の捜索差押の責任者で行った。たまたまそのとき、野村総裁は、2~3日前から風邪をひいて、2階で休んでいた。当時は、田上理事長ですけど「総裁の部屋の捜索は止めてくれんですか」と言った。「わしのところはひっちゃかめっちゃかにしてもらっても構いません。いま(総裁は)具合が悪いから止めてくれんですか」と言った

田上被告の言葉に藪氏は「それはできませんので、それは仕方ないでしょう」と口を滑らせたという。

元福岡県警・藪正孝氏:
そうしたら、それまで冷静だった田上理事長が激怒して、もう大声出して、「仕方ないっちゃなんか!!!」と、「うわぁ―――」となった。そこは古参幹部たちが「理事長!」と押しとどめて、別の部屋に田上理事長を連れていって。そのときの田上理事長の怒り方は、あれはちょっと尋常じゃない。野村総裁に“絶対忠誠”を誓っているなと

「自分が懲役に行っても親分は守る」

捜査員に見せた野村被告への強烈な忠誠心。一審の全面無罪主張から一転、事件の一部の関与を認めた田上被告。

元福岡県警・藪正孝氏:
少なくとも「野村総裁だけは助けたい」という気持ちがあるのかなと。自分を引き立ててくれて、ここまでしてもらって。「自分が懲役に行っても親分は守る」。自分の信念というか、あくまでも彼らなりの信念。それに殉ずるつもりではないか。田上会長にとっては何よりも大事な存在だったのではないか、野村総裁が

(テレビ西日本)

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