2023年9月から、名護市の国立ハンセン病療養所では、版画の個展が開かれている。 版画の制作者は、兵庫県の元美術教師。 ハンセン病の歴史と向き合ったことが、制作に大きな影響を与えた。 

版画の色のベースは黒と白。当時の感情を投影 

9月5日から、名護市の国立ハンセン病療養所・沖縄愛楽園の資料館で、版画の個展が開かれている。

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主催者は兵庫県に住む、版画家の小林くみこさん。 

生と死を表現した版画、およそ35点を展示している。 

美術教師だった小林さんは、教師時代に多くの死と向き合うことになり、暗闇のなかで過ごしていたという。 

「1991年から2005年まで、とてもしんどい死と向きあっていたんですね。教え子が亡くなったり、義母が義父の後を追って自ら命を絶ったり、妹ががんで亡くなったりとか。2005年には夫が亡くなりました」

このときの版画の色のベースは黒と白。 

当時の感情が投影されている。 1992年に義母が死去した後に描いた作品だ。「気持ち的に厳しい時に描いていた」という。

黒から離れて色が 版画の色も変化 

そんななか、2011年に大きな転機が訪れる。 

小林くみこさん:
安堵感、やすらぎ、すべてを金泰九(キム・テグ)さんは受け入れて、相手に対してもやさしさとかを与えてくださいます

金泰九さんは現在の韓国で生まれ、12歳で日本に渡り、大学在学中にハンセン病を発症。 

90歳で亡くなるまで、およそ60年もの間、岡山県のハンセン病療養所の長島愛生園で過ごした。 

小林さんは金さんとの出会いを境目に、版画の色も変化していった。

金泰九さんと出会ったことや、いろいろな出会いがあって、黒から離れて色が出てきたという。

知ることによって偏見を軽減していく 

金さんは、ハンセン病患者に対する国の強制隔離政策を違憲と判断し勝訴した2001年のハンセン病国賠訴訟の元原告団としても活動し、その後は元患者の人権回復や啓発活動に尽力してきた。 

金泰九さんは、「失われた過去というものを取り戻すためにも、一般の人たちに知ってほしい。知ることによって、偏見というものを軽減していくと思うのです 」と話していた。

小林さんは、金さんのやさしさを受け取ると同時に、金さんが歩んできた隔離の歴史を学んできた。

小林くみこさん:
みんながそのことを言うから、それが正しいと思って、こういうふうにハンセン病の方を隔離したりとかしていたわけですから、自分が間違っていると思うことは周りに流されず正しく行動してほしいということを言っておられました

名護市の沖縄愛楽園で9月24日まで開かれている展示会では、小林さんが金泰九さんに出会い、変化した考え方などを版画を通して見ることができる。 

(沖縄テレビ)

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