長崎の歴史をテレビ長崎に残る映像とともに振り返るシリーズ「タイムトラベル長崎」。長崎市の水泳の聖地とも呼ばれている「旧・ねずみ島」の歴史をたどった。
かつては小島だった「旧・ねずみ島」
長崎市で年の初めに行われる恒例行事「泳ぎ初め」。新たな年の健康を願う寒中水泳は、明治時代から続いている。
この記事の画像(17枚)中学生の参加者:
すごく寒かったですけど、頑張って入りました
最年長の参加者(77歳):
1年の覚悟が新たにできた
長崎市小瀬戸町の「旧・ねずみ島」は、子どもたちが1から泳ぎを学ぶ「水泳の聖地」とも呼ばれている。
「旧・ねずみ島」の正式名称は「皇后島」で、第14代皇后である神功皇后がこの地に上陸したことから名付けられたと言われている。現在は陸続きだが、かつては船で島に渡っていた。当時は周囲600メートルの小島だった。
なぜ「ねずみ島」なのか?名前の由来は諸説ある。江戸時代に深堀藩だった長崎市深堀地区の真北・子の方角(北)にあたるので「子角島」とか、ネズミが非常に多かったとか。
現在は長崎市内で水泳教室を実施
ねずみ島は長崎初の海水浴場でもあった。120年前の明治36年(1903年)に、ねずみ島で子どもたちを対象にした水泳道場が始まった。目標は「市民皆泳」だ。
子どもたちが目指すのは、帽子に入れてもらう赤いライン。泳ぐ距離など一定の基準をクリアするたびに、帽子のラインが増えるというルールだった。
練習の成果を披露する「大名行列」は道場の名物だ。江戸時代に立ち泳ぎで川を渡った肥後細川藩の参勤交代を再現したもの。
しかし、ねずみ島海水浴場は長崎外港整備計画により1972年に閉鎖された。その後、水泳教室は、長崎市松山町の市民プールに場所を移して夏休みに実施されている。ねずみ島でのスタートから120年を迎えた現在も続いている。
参加者:
25メートル、夏休み中に泳げるように頑張りたい
参加者:
目標は50メートル以上泳ぐことです
ねずみ島で覚えた泳ぎを次の世代へ…
2023年の開会式であいさつをしたのは、指導者の一人で「長崎游泳協会」の理事長・田中直英さんだ。
長崎游泳協会・田中直英理事長:
水と友達になって下さい。それが水泳上達の一番の基本です
49年前のねずみ島海水浴場の閉鎖の際、あいさつをしたのは田中さんの父・直一さんだった。
長崎游泳協会・田中直英理事長:
市民皆泳、青少年の健全育成。たくさんの先生たちが同じ志を持って続けていて、たまたま私どもがその場に居合わせただけ。やっぱり恩返しですよ。自分たちがねずみ島やプールで泳ぎを覚えた。それを次の世代に継承するその繰り返しの歴史が、遊泳協会の120年の歴史だと思う
学ぶのは、立ち泳ぎや平泳ぎが基本の「日本泳法(小堀流踏水術)」。災害時などに命を守る泳法だ。
長崎游泳協会・田中直英理事長:
いろんな水難事故であったり、そういう時にも対応できる。私たちにとって一番うれしいのは、泳げない子が25メートル泳ぎ切った達成した時に見せる笑顔。教師冥利(みょうり)に尽きる
子どもたちはひと夏の練習の成果を、大村湾での遠泳や「大名行列」で披露し、泳ぎを通して成長する。夏の思い出を作るのは今も昔も変わらない。
(テレビ長崎)