KTNが1969年の開局以来、撮影してきた映像とともに長崎の歴史を振り返る「タイムトラベル長崎」。過去10月にあったニュースに注目した。

1983年10月15日放送「眼鏡橋が復元」

40年前の1983年10月。長崎を代表する観光名所「眼鏡橋」の復元工事の完了を祝い、式典が開かれた。

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眼鏡橋は、前の年の長崎大水害で手すりなどが削り取られ、半壊した。

式典には当時の副知事や長崎市長、それに市民など約3,000人が出席し、3世代の夫婦2組による渡り初めを行ったり、長崎くんちのだしものを披露したりするなど、町のシンボルの復活を盛大に祝った。

1988年10月4日放送「老人ホームに寄贈されたのは…」

続いては、35年前の1988年10月。五島の老人ホームで入居者が遊んでいたのは、なんとパチンコ!

「施設での生活が中心の入居者に楽しめるものを」と敬老の日に地元の遊技場がプレゼントしたのだ。

指先を使うとボケ防止につながるのではと人気は上々。熱中しすぎないようにと、遊べるのは週5日、毎回1時間程度と決められていた。

施設の人がパチンコ玉を補充
施設の人がパチンコ玉を補充

当時を知る施設の方に話を聞いたところ、パチンコ台は故障などもあり、3年後には撤去されたそう。

ちなみに、今の入居者の一番の楽しみは“カラオケ”だという。

1986年10月9日放送「バイオパークに九州初の○○」

最後は、37年前の1986年。この年、長崎バイオパークにやってきたのは4頭の「ラッコ」。九州でラッコが展示されるのはこれが初めてだった。

好物の貝を食べる姿が愛くるしいと、一躍人気者に。翌年には赤ちゃんラッコも誕生し、大ブームとなった。

当時のにぎわいはどうだったのか。ラッコの飼育を担当していた伊藤雅男園長に聞くと「行列の整理ができないので警備員を配置していた」ほどだという。さらに「ぬいぐるみが飛ぶように売れた」といい、商品を置いた瞬間に売れるほど人気だったという。

飼育員時代は「あること」で悩んだそう。

長崎バイオパーク・伊藤雅男園長:
「ラッコ = お腹の上で貝を割る」というイメージが強すぎて、エサのイカを食べているだけでは客が納得しない。ただ、ラッコもお腹の上で割るよりは、アクリルや岩で割るほうが簡単なので、ほとんどお腹の上で割らなかった

当時はエサやりや水槽の整備などに追われ、泊り込みで働くほど忙しかったそう。

ラッコは現在“絶滅危惧種”に指定

長崎バイオパークではあわせて11頭のラッコを育てたが、飼育の難しさなどもあり、展示は2000年に終了した。

現在、ラッコは絶滅危惧種に指定されていて、動物園や水族館でも迎えいれることが困難に。

そのため、国内では3頭しか飼育されていないということで、いずれ日本の施設では見られなくなるかもしれないと言われている。

(テレビ長崎)

テレビ長崎
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