「ジュエリーピーチっていうんです」
桃農家を営む内藤裕一さん(55歳)の表情は、まるで自慢の息子を紹介するかのようでした。
「畑の中で作業をしているとすごくきれいなんです。キラキラと木漏れ日が入ってきて赤と緑のコントラストがあるじゃないですか。輝いて見えて、それがなんだか宝石のようだなぁと思ってね」
この記事の画像(6枚)フルーツ王国・山梨で父から農園を引き継ぎ、今や“全国屈指の桃”をけん引する内藤さん。
内藤さんが営む農園には600本ほどの桃の樹があり、そこから誕生し、出荷された桃だけに付けられる名前。それが、知る人ぞ知る、その名も「ジュエリーピーチ」。
毎年この桃を求めて県外からやってくる人も多く、この異名こそが、毎日磨かれて輝く宝石のように、一個一個大切に育てられたという“証”だといいます。
しかし、今でこそその名が知られるようになったジュエリーピーチですが…
「初めは名前を言うだけでも恥ずかしくて。自分で言って真っ赤になるみたいな」
自分で呼ぶことすら恥ずかしい…そんな思いをしてまで、なぜ命名するに至ったのか。
宝石の名を冠した桃の裏には、2代目桃農家としてのある覚悟がありました。
「ジュエリーピーチ」に込めた想い
「小さい時はもう絶対、桃農家なんてやらないと思っていた。でも思えば思うほど、そっちに引っ張られて行っちゃった。そういうことってあるじゃないですか。考えれば考えるほどそっちに行っちゃうっていうね」
小さい頃から眠い目を擦り、父親の手伝いを嫌々していたという内藤さんですが、 考え抜いたそのアイディアこそが「内藤農園」最大の魅力になったのです。
「この農園の桃がおいしいという記憶を明確に残したいと思ったんです。名前を付けることで何かを変えたくて。農業はただ毎日繰り返しで何かに挑戦してみたかったというのもありますが、これが自分のつくった桃だと誰が聞いてもわかるように、名前をつけることが必要だったんです。いわば覚悟だったんでしょうね。山梨の桃としか言えなかったらみんな同じなので」
私たちが日常生活で桃を区別する時に使っているのは、白桃や黄桃、ネクタリンなど、多くの“品種”であって、固有の名称ではありません。それは一生懸命育てたものでも、手をかけずに育てたものでも、山梨で育った「白桃」や「黄桃」でしかないのです。
「ジュエリーピーチ」の糖度は、平均して14度以上。通常美味しいと言われる桃の糖度は12度以上ですが、内藤農園では16度以上の桃も多く収穫されるといいます。
「(間引き作業の際)それぞれの木のどの場所にどれくらいの子(蕾)を残すか、考えますね。天候にもやはり左右されるんですけど、できるだけぶれないように、こういうときだったらこう、というデータも作ってやっています」
1本の木が作り出せる栄養分は限られているため、「量」より「質」を優先。
将来桃になる蕾の数を減らし、より多くの栄養を1つ1つの桃に与えることで、非常に高い糖度を持つ桃が誕生するのだといいます。
はじめは理解されず葛藤も
さらに、多くのフルーツは味など、状態の良し悪しを“見た目”から推測できる一方、桃は見た目だけで判断することが難しいとされるフルーツ。
だからこそ…
「自分がつくった桃に、唯一無二の名前をつける」
それは、いわば「桃農家として生きる」ことを自らに突きつけた、内藤さんの覚悟の証でした。
ところが、名付けた当時は「農園固有の名前」をつけること自体が極めて珍しく、先代の両親にすらその覚悟は届かなかったといいます。
「当時はこういうものがなかったから、僕の両親にしてもあまり理解してくれなかった。全然反応は良くなかったです」
「『実はジュエリーピーチというのがありまして、その桃からできたジュースです』って、はじめはその名前言うのもちょっと照れがあったりして。でもこれじゃいけないなぁと。自分で上げたハードルだから慣れなきゃいけないなぁと思ったりしました」
それでも、内藤さんが農園固有の名前にこだわり続けた裏には、桃農家としての強い思いがありました。
「桃は贈答品として『誰かに届けたい』『誰かにあげたい』という人たちの気持ちそのものなんです。僕ら桃農家は、その温かい気持ちの一部を担っていると思っています。僕らが作っているのはただの桃ではなくて、たくさんの人たちの気持ちなんです。だから適当にはできない。『贈ってよかったわ』と思われなきゃ僕らが扱っている商品の価値はないんです。その思いに応えることが、桃農家としての使命だと思っています」
桃は「ほんの気持ち」という言葉と共に誰かに贈りたくなるフルーツ。だからこそ、「優しい日差しと笑顔に包まれて育った桃が、最高の贈り物になる」。それが内藤さんの信念だそう。
また幼い頃から手伝っていたその感覚は日々研ぎ澄まされ「桃は持っただけで全てが分かる」といいます。
「桃って毛が生えてるでしょう。その毛の感触とか、肌のしっとり感とか、いろんなことがあるんです。これはおいしいなぁとか、これは最高だなっていうのが。もう感覚ですね」
桃作りはすべてが手作業。
そのため、研ぎ澄まされた手の感覚だけを頼りに、ひとつひとつの桃を確認、選別していくのです。その姿は、長年の経験を頼りに磨き上げていくジュエリー職人と同じ。
「あまり知られていないんですけど、山梨県は水晶が多く取れる地域で、宝石を加工する業者さんがたくさんいます。中でも、甲府市は日本を代表するジュエリーの街。宝石の技術とは全然違いますけど、同じ山梨県で何かを磨き上げて作り上げているという意味では同じ“ジュエリー職人”ですね」
これからも笑顔を届けたい
「ジュエリーピーチ」と名付けて、今年で11年目。今では多くの人にその名前で親しまれ、農園に併設されたカフェにはたくさんの人の姿が見られます。
「桃はたくさんの人が待ってくれている果物。そこが珍しいなぁと思っているんです。今年もこの季節が来たねぇと。最近になって、農業をやっててよかったなと思います。来てくれる人が笑顔で帰ってくれて、僕も笑顔になれるので。ジュエリーピーチという名前を何かのきっかけで思い出してもらえたら嬉しいですよね」
宝石の街で磨き上げられる桃、「ジュエリーピーチ」。
その名前に込めた使命と共に、きょうも笑顔溢れる作業が行われています。
多くの人の思いを届ける「笑顔の架け橋」となるために。