古代エジプトの壁画などにも、栽培の様子が描かれている「ブドウ」。
数千年前から多くの人類に愛され、古くから続いてきたブドウ作り…。そんなブドウ作りの新たなスタイルに挑んでいる人がいます。
「素人がそんなブドウ農家をやって利益なんて出るわけがないだろうと。 そもそも、サクランボ好きなので。正直、ブドウに興味はなかったですね」
サングラスを外しながら、眩しそうにこう話し始めたのは、大場修さん、56歳。
この記事の画像(9枚)山梨県北杜市にあるブドウ農園「グリーンカラー」。「極旬」と言うブドウのブランドを立ち上げ、約5ヘクタールの土地でブドウを栽培し始めて今年で4年目。
その最大のウリは…“究極の二期作”です。
「デニムにこのウェアと長靴がうちのチームウェアなんです」
ツナギ服でもなければジャージでもない…大場さんが畑に立つ服装は、ジーンズにジャケット、サングラスというアメリカンなスタイル。それは、まさにかっこいい農家そのものでした。
大場さんは3年前まで大手不動産会社・三井不動産で、スーツを着て住宅・ビル・商業施設事業に携わっていた不動産マン。ブドウ農家の2代目でもなければ、農大出身でもない… 。
畑とは無縁の人生を歩んでいたのに、なぜスーツからジーンズへ、人生の舵を切ったのか?
「僕は、もう全てが必然だと思っている人で。出会うべくして出会ったんだろうなと」
その決断の裏には、奇跡の出会いがありました。
全ては1粒から始まった
「大場さんは…変わっていますよね。良い意味で変わっています」
目尻を下げ、懐かしそうに大場さんについて語り始めてくれたのは、今回のこの “奇跡の物語”に登場するもう一人、山梨県でブドウ園を営む樋口哲也さん、65歳。
2人の出会いは、遡ること8年前の夏。テナントだった銀行から紹介された先が樋口さんのブドウ園でした。
大場さん:
思わず笑顔になるほどの甘みと、一口で皮も食べられる手軽さ。いくらでも食べられる…それに驚いちゃって。
樋口さんの農園で育ったシャインマスカットの甘みに感動したという大場さん。 また、惚れ込んだのはその味だけでなく…
大場さん:
地面には緑の草が広がり、頭上にはブドウ棚に広がるブドウの葉。上下緑なわけですよ。夏はその葉の隙間から木漏れ日みたいになっていて暑くもない。この仕事好きだなぁ、いろんな人に紹介したいなぁってその時に思いました。
シャインマスカット作りだからこそ楽しめる、景色にまで惚れ込んでしまったのです。そんな余韻に浸っている大場さんの頭の中によぎったのは、ある“夢”でした。
大場さん:
スーツを脱ぎたくて仕方がなかった。嫌なんですよ、あのピシっとしているの。Tシャツ短パンで出勤したいとずっと思っていたので。
スーツを脱ぐならこんな仕事がしたい。 かつてから抱いていたそんな思いから、大場さんは行動に出ます。
大場さん:
3年ぐらい、年に5~6回、樋口さんの農園に通いました。ブドウ作りを教えてくださいって、見習いみたいな感じで。
有名生産者の樋口さん“脱サラ”していた
ブドウの極意を学ぶため、仕事の合間を見ては樋口さんの営む農園へ通い続けたのでした。
樋口さん:
大場さんってサラリーマンっぽくないじゃないですか。いい意味でまともじゃない。でも型にはまっていたら新しいことってできないと思うので。好奇心や探究心があって、いろいろなリスクを肌で感じられる人はブドウ作りに向いていると思うんです。
実は、そう話す樋口さんにもこんな“過去”が。
樋口さん:
自分は農家をやるつもりは全くなくて。当時、ブドウ農園を営んでいた父からも「農家なんてやるもんじゃない」と言われていました。
農家だった父からは医者になることを勧められた目指すも…二浪の末断念。やむなく、塾講師やスーツを着て仕事に勤しむサラリーマン生活を送っていると、心境にある変化が起きたといいます。
樋口さん:
どれも本気でやったら面白かったんです。だから農家も本気でやれば面白いんだろうと思って、やってみることにしたんです。案の定、やりこめばやりこむほど面白くて。
樋口さんは40歳でスーツを脱ぎ、ブドウ農家として生きることを決断。
樋口さん:
ブドウ農家だった父が、初心者に土地全部と通帳印鑑、何から何までお前に任せると受け渡してくれた。背水の陣というか崖っぷちに立たされたような感じですよね。
2代目ブドウ農家としての人生をスタートさせて、今年で早25年。
今や日本の超一流レストランなどでも重宝される高級ブドウの生産者として知られ、山梨では「樋口さんのことを知らないブドウ農家はいない」といわれるほどに。
しかし、それでも樋口さんのブドウに対する探究心が止まることはありませんでした。
樋口さん:
無理やりにハウス栽培したりすれば、それなりの味は出るんですけど、ほんとにそのブドウの持ってるポテンシャルを100%引き出した味を作るには“旬”じゃなきゃダメ。
日本で果物の栽培に最も適していることから、フルーツ王国とも言われる山梨県。日本で1番降雨量が少なく、日照時間が1番長い。乾燥を好むブドウにとっては最高の条件が揃っているのですが…
追い求めた旬を叶える“絶好の土地”
探求の末、樋口さんが新たに農園を始めたのは、日本と真逆の四季を過ごすことができる、南半球のニュージランド。 山梨が誇る好条件をも凌ぐといい、日本の冬場に旬のブドウを作ることができるというのです。
樋口さん:
紫外線の強さは日本の7倍あるので、光合成も7倍する。
そんな“7倍の環境”で育った糖度の高いブドウは、パティシエやシェフが絶賛するほどのクオリティになりました。さらに、“2倍”育ったというのが農家を志す若いスタッフたちの技術の習得でした。
樋口さん:
ニュージーランドで雇った社員をブドウ栽培が終わった後に、日本に連れて帰って、1年で2回ブドウ作りをしてもらった。そしたら1年で任せられるレベルになったんです。
北半球と南半球で1年に2回も旬のブドウ作りが行えるため、後継者の経験値もブランクが空くことなくスピーディーに行うことが可能になったといいます。
三井不動産の“新規事業”でブドウ農園をスタート
こうした“旬”を追い求める樋口さんの姿に憧れた大場さんは、三井不動産が会社の社内ベンチャー企業企画として行った提案制度に、自然と生きるライフスタイルを提案。生産指導責任者として樋口さんに入ってもらい、大場さんも、山梨・ニュージーランドの2拠点でブドウ農園をスタートさせました。
こうして、念願の“スーツ”生活から“ジーンズ”生活へ…。
大場さん:
夏場は、月1回行われる本社での会議にもTシャツとデニムパンツ姿です。大場はああいうことをしているから…って。もう何も言われません。この間クローゼットのスーツ見たらカビが生えていて(笑)。
ブドウを作り始めてから出荷できるようになるまで3〜4年。ようやく今年から大場さんの農園で育った“ブドウ”が全国に届けられるようになるといいます。
大場さん:
実は趣味でサクランボも育てはじめたんです。近くのサクランボ農家さんに教わりに行っていて。夜に外へ出ると、星がすごく綺麗なんです。心の余裕ができて、サラリーマン生活で必死に働いていると気づかなかったことにも目がいくようになりました。ブドウ農家だからこういう生活ができるし、こういう農家の生活スタイルを紹介したいですね。
サクランボ好きの大場さんに走った“シャインマスカットの衝撃”から、およそ8年。
その一粒と同じ衝撃を“スーツ姿の新たな後継者”に与えるべく、今その挑戦が始まろうとしています。
【取材・執筆 フジテレビアナウンサー永島優美】
朝の情報番組MCを続ける中、体のためにフルーツを食べることがルーティンに。そんなフルーツの魅力を知りたい・伝えたいという思いから、2022年8月に「果物インストラクター」「オーガニックフルーツソムリエ」の資格を取得。