3月12日号砲の「名古屋ウィメンズマラソン」に、鈴木亜由子選手が出場する。悔いしか残らなかったという東京五輪のリベンジで、2024年のパリ五輪を狙う。

東京五輪の「悔しさ」を経て…復帰レースで自己ベスト更新

パリ五輪代表が決まる2023年。強い気持ちを胸に、愛知県豊橋市出身の鈴木亜由子選手はスタートを切った。

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2021年の東京は、鈴木選手にとって2度目の五輪だった。マラソンで出場したが、納得のいく走りができなかった。

鈴木亜由子選手:
もっと何が何でもっていう気持ちで行けなかったところが弱かったなと思っています

頭にあったのは、過去の苦い記憶だ。

幼い頃から「天才少女」として、その名を轟かせていた鈴木選手だが、ケガに悩み続けてきた。

高校時代には2度、大きな手術を経験している。

リオ五輪にはトラック種目で出場したが、本番1ヵ月前に足を痛め、思うような走りができなかった。それが、東京五輪に影響を及ぼした。

鈴木亜由子選手:
逆に1回目(リオ五輪)の失敗もあったから、怖さもあったし

東京五輪の結果は19位。過去の経験が怖さとなり、鈴木選手の気持ちにブレーキをかけた。

鈴木亜由子選手:
捨て身には確かになれなかった気がします。捨て身というか、それがいいわけじゃないですけど、よく話を聞くのは高橋尚子さんとか野口みずきさんとかって、メダルを取るかケガをするか、どっちを取るかみたいな判断の時に、間違いなくケガをしてもいいからメダルを取りにいく、そういう気持ちでやっていたという話を聞くんですけど、足がぶっ壊れてもいいから(メダルを)取りに行くんだっていうのが、やっぱりそういうのがなかったのかなって

覚悟を決められなかった悔しさ。五輪後も、その気持ちは頭から離れなかった。

鈴木亜由子選手:
(レースが)終わってからも自分を責める気持ちがずっとあって、それがだいぶきつかったですね

そこで決断したのが、長期休養だった。初めて陸上競技のことを忘れて時間を過ごした。

鈴木亜由子選手:
ずっと眠れなかったりとか、そういうこともあったんですけど、久しぶりにちゃんと眠れたなとかいい傾向もありましたし、それとともに気持ちも体も元気になっていくっていうのは感じられたので

すると、復帰レースとなった2022年9月のベルリンマラソンで自己ベストを6分以上も更新し、MGCの出場権も獲得した。

鈴木亜由子選手:
東京五輪を経験してもう恐れるものはないのかなって思いますし、もう1度マラソンでオリンピックに行きたいという思いはすごくあります

これまで苦しめられてきたケガ、そして2度の五輪を経験して、さらに強くなった鈴木選手。

名古屋ウィメンズマラソンに向けた、直前のアメリカでの高地トレーニングでは、距離を増すごとにぐんぐんピッチが上がっていく鈴木選手の姿があった。

強くなった姿を証明するため、そして、もう1度マラソンで五輪に行くため、覚悟を持って初めての地元レースに挑む。

鈴木亜由子選手:
名古屋だからこそ挑戦したいなと思っている自分がいます。地元の皆さんの応援を励みに、自分らしい走りで駆け抜けることができたらいいなと思っています

(東海テレビ)

東海テレビ
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