会社員生活15年。
これまでに2度、働き方のターニングポイントに遭遇した。
最初のタイミングはまさしく、政府による働き方改革の施行。それまではテレビ局のイメージよろしく、私もがむしゃらに働いていた。

そしておととし、2度目となる転換期が訪れた。第一子の誕生である。
育休を取得した2週間余りの間に、いろいろな感情に襲われたのを覚えている。自分が不在でも番組が滞りなく回っていることへの安堵感と、少しの寂しさ。そして、どこか解放されたような妙な感覚。

今回、「男性学」の第一人者である大妻女子大学・田中俊之准教授に話しを聞いて、育休中に芽生えたその感情の正体が分かった気がした。

「男はみんな働くもの」「定年まで」に抱いた違和感

榎並:
「男性学」とはどんな学問なのでしょうか?

田中俊之先生:
「男性が男性だからこそ抱えてしまう悩みや葛藤」を対象にしています。例えば、男性が育児休業を取るというときに、女性よりも壁を感じたりするわけですよね。あるいは企業の中でも「男性に抜けられると困る」みたいな文化が残っていたり。そうした「男性」という性別が、「男性として生きる人」に与える影響などを考える学問です。

大妻女子大学「男性学」研究者 田中俊之准教授
大妻女子大学「男性学」研究者 田中俊之准教授
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榎並:
田中先生がその男性学に進むきっかけは何だったんですか?

田中先生:
一番のきっかけは、大学時代の就活時期の周囲の変化でした。それまでみんなぷらぷらしていたのに、急に茶髪を黒に染め直して、リクルートスーツを着て、一斉に「就職する」って言い出して。

榎並:
私も大学3年生の頃、やれインターンだの、やれOB訪問だのと、周りが急に動き出して焦った記憶があります。

田中先生:
そうですよね。その急激な行動の変化の仕方とか、みんながみんな「学校を卒業したら働くものだ」と思い込んでるという事を、とても不思議に思ったんです。日本人が会社で雇われて働き始めたのは高度成長期以降だから、そんなに長い歴史があるものでもないのに、男の子みんなに「働くものだ」って思い込ませて、なおかつ「定年までずっと」じゃないですか。

そういうことを思い込ませるような仕組みって何なんだろうとすごく疑問に思い、今でもそれを探究しているんです。それが、自分が男性学に進む一番のきっかけですね。

「男だからって働かなくてはならないと思わせる仕組みって何なんだろう」と疑問に
「男だからって働かなくてはならないと思わせる仕組みって何なんだろう」と疑問に

榎並:
学生の頃から社会の仕組みに疑問を抱いたり、俯瞰で物事を捉えられるのはすごいですね。

田中先生:
いえいえ、そんな積極的なものではなくて。僕、働きたくないっていう気持ちがすごく強くて(笑)。「僕はこんなに働きたいと思えないのに、なんでみんなは自然にそう思うんだろう」っていうところでしたね。

“男だから”という理由で「ほとんどが敗者になるレース」に

榎並:
そうした就職戦線や、入社後に待ち受けている出世レースなど、特に男性は常に競争の場に晒されているように思います。これは男性が競争を好むからなのか、それとも先ほどの「働くものだ」のような価値観の植え付けなのか、正体は何なのでしょうか?

田中先生:
これは「植え付けられたもの」というところがすごく大きいと思いますね。
昔のような階級社会では、そういう向上心をみんなが持てないはずなんです。農家に生まれたらみんな農民で、武士の家に生まれたら武士という中で、農民が「俺だって武士になるぞ」と競争心を抱いたとしても、そういう階級社会では無駄な欲望なので。

つまり「どんな出自であっても頑張って努力すれば階級上昇が見込める」という社会でないと、そういう欲求自体が生まれてこないと思います。

男性はとくに“自分とは何か”が“他者との比較でしか捉えられない”という問題を生んでいるという
男性はとくに“自分とは何か”が“他者との比較でしか捉えられない”という問題を生んでいるという

榎並:
努力すれば上に行けること自体には希望に感じます。

田中先生:
そうなんですが、日本の場合はそれが男性だけに求められてきたわけなんです。
典型例としてよく挙げられますが、東京大学の入学者が女性は2割を超えてこないですよね。世界のトップレベルの大学でこうした傾向が見られるのは日本くらいです。他国のトップ校では男女比がそこまで偏ることはありません。

これは「女の子はそんなに無理して東大に行きたいと思わなくていいよ」というような考えが存在していて、一方で、男性の場合は「部活動とか青春を台無しにしてでも勉強に全て打ち込んで東大に入りなさい。そうすれば将来いい職業に就けてお金をいっぱいもらえるよ!」という考えがあるわけです。

こうした流れに戦後、みんなが押し出されていったという側面があると思うので、男性が競争するのは生物学的な欲求というより、社会の中で男の子に何が期待されてきたのか、という問題だと思います。

これが僕からすれば「男がつらいな」と思うことの最たるものです。だって、ずっと勝てないわけですよ。ほとんどの人が敗者になっていくレースに「男だから」という理由で出させられる。理不尽なことだと思いますし、他者との比較でしか自分を位置づけられない人間に育ってしまいますよね。

「あいつより良い大学行った」「あいつより給料もらってる」「あいつより早く出世した」という風に。「自分とは何か」を他者との比較でしか捉えられないという問題を生んでしまっているように思います。

社会の偏りを是正するためには…
社会の偏りを是正するためには…

榎並:
そうした社会の偏りを是正するにはどうしたらよいのでしょうか。 

田中先生:
結局、日本社会で男女の生き方を強く規定しているのは「女性は家事育児、男性は仕事」という性別役割分業で、これがいまだに女性を圧迫しているし、男性に仕事中心の生き方をもたらしているように思います。

女性が働くようになることと同時に、男性が家事育児の場に戻っていくということが起きれば、男女のフェアな関係もできてくるし、女性が働きやすい職場とか、女性の社会全体での地位向上に繋がっていくんだろうなと思います。

柔軟な働き方が「不安定」に直結

榎並:
働き方改革が叫ばれて久しいですが、男性は今後どのように働き方を変えていくのがいいのでしょうか。課題も多いように思います。

田中先生
例えば榎並さんみたいに、まさに子どもが小さいときに男性でも時短勤務を選べるとか、週5日勤務ではなくて4日勤務を選べるとか、っていうのがすごく大事なことだと思います。

ただ、日本の場合はそういう道を選択したときに、一つはキャリアの形成にすごく影響が出てしまう。バリバリ働いている人に比べて低評価になってしまうということもあるし、そういう働き方を選んだ途端に将来の雇用の見通しも立ちにくくなってしまうところが問題だと思います。

僕も、もっと柔軟な働き方ができるようになるということは重要だと思うんですけれど、その柔軟さというのが不安定さと直結してしまうところに、今の日本の問題があるように思います。

賃金格差の是正が男性の育児参加につながる

榎並:
田中先生は2児の父親でもありますが、子育てする中でどんな変化や気づきがありましたか?

田中先生:
まず、育児をしてると働き方にすごく制限がかかってきますよね。
保育園のお迎えを控える中で「前の会議が押していて偉い人達がまだ来られないので、(こちらの会議の)始まりが15分遅れます」なんて言われた時には、強烈に頭にくるようになりました(笑)。

「あなたたちはそういう制限がないから好き勝手に『延長します』『遅れます』ってできるけど、こっちはそうもいかないんだから」と。育児を丸投げしてきた世代の方たちと対峙するとなったときに、仕事だけではない時間の中で動いていかなければならないことに悩みます。

フルタイムで男性の賃金が3割高いとなると、女性が育児休暇を取った方がいいとなってしまう…格差是正が必要に
フルタイムで男性の賃金が3割高いとなると、女性が育児休暇を取った方がいいとなってしまう…格差是正が必要に

榎並:
私も子どもが生まれてからというもの、出社前はギリギリまで家のことをして、仕事が終わったら一目散に家に帰るようになりました。自分の時間が本当に無くなりますね。

田中先生:
「別の時間軸のことが入ってくる」というのが一番大変ですよね。子どものお迎えや送りという時間軸と、あと子どもにはそもそも時間の概念がないので「8時半だから保育園行くよ」と言っても、3歳の子は8時半なんて気にしていないわけじゃないですか。24時間の中で生きている大人と、そうした概念がない子どもとの対立に苦労しています。

榎並:
そうした悩みを共有することができれば、女性の働きやすさにつながるように思います。男性がもっと育児参加できる社会を実現させるためにはどうすればいいでしょうか?

田中先生:
すぐには改善できない問題ですが、長期的に解決していく必要があるのは男女の賃金格差の是正です。フルタイムでも男性の方が3割ぐらい給料が高い今の状況だと、お父さんは働き続けて、お母さんが育児休業を取った方が家計が潤うことになってしまうので。結局お母さんが休んだ方が得、ということになってしまうんですよね。

短期的には、育児休暇で給料が減って、出世が遅れてもよいというような意識改革が必要か
短期的には、育児休暇で給料が減って、出世が遅れてもよいというような意識改革が必要か

榎並:
個々人でできる事はありますか?

田中先生:
短期的にできることとしては「もらえるお金が減ったり出世とかが遅れたりしてもいいから、自分は育児休業を取るんだ」というような意識を持つお父さんが増えていくことでしょうか。ただこれは本人が嫌だと思うケースもあるだろうし、パートナーの方が心配に思うケースもあると思うので、各ご家庭できちんと合意が取れるかというところかと思います。

産休後復帰する女性は10年で倍

榎並:
男性の育休取得率も徐々に上がってきていますが、これによって女性の働き方に変化は出てきているのでしょうか?

田中先生:
もちろん、影響は出てきていると思います。近年、子どもを産んだ後に復帰する女性が増えていて、これは劇的な変化です。具体的にどのぐらい変わってるかというと、2005年から2009年ぐらいだと、育休を取って復帰してくる人はまだ2割ぐらいだったんですね。それが2015年から2019年になると、復帰する女性が4割ほどに増えているんです。

榎並:
10年で倍に…本当に劇的ですね。

共働きが急速に進む中女性だけが育児休業をとるというのは難しい時代に
共働きが急速に進む中女性だけが育児休業をとるというのは難しい時代に

田中先生:
つまり、いま急速にフルタイムの共働き化が進んでるということなんです。そうするともう、男性も育児休業を取らざるを得ない側面もあるのではと思いますよね。フルタイムでお互い仕事をしていて、お互いにやらなくてはいけないことがある中で、女性だけが育児休業、という話にはなかなかなりにくいんじゃないかないかと思うんです。

男性は“40年働き続ける”思い込みからの解放

榎並:
男性も育休をとりやすい制度改革が進んできていますしね。私自身、育休を取得して、短期間ながら様々な気づきがありました。「自分がいなくても仕事は当たり前に回っていくんだ」ということを目の当たりにして、もちろん寂しさも感じましたが、同時に、妙に解放された感覚に襲われたんですよね。

田中先生:
それはとても大切なことだと思います。僕、定年退職した男性のインタビュー調査をずっと行っているのですが、第一問で必ず「40年働いてどうでしたか?」と聞くようにしています。すると男性たちからは異口同音に「あっという間でした」と返ってくるわけですよ。何故か。それは日本の男性がただただ働き続けているからなんです。40年の間に立ち止まって我が身を振り返る機会が全くないがために、そうした「あっという間」が起きてくるように思うんです。

榎並さんが取ったような育児休業でも、介護休業でも、あるいは子どもがいなければ、2週間ぐらい有給休暇を取って好きなことをやりに行くでもいいと思うんですけれど、男性が仕事の手を止めて立ち止まる機会があるということは、「とにかく40年ただひたすら働き続けるしかないんだ」という思い込みからの解放という意味でも、ものすごく意味があると思います。男性がそうして仕事ばかりでない生き方を選ぶことによって、女性にとってプラスになる面もすごく大きいだろうと思います。

20代から30代にかけて、深夜・早朝・休日出勤、年末年始も関係なく働いた。
「働いた」というよりは「働いていたかった」という表現の方がしっくりくるかもしれない。仕事を任せられることに喜びを感じ、スケジュールが埋まることでどこか悦に入っていた。働き方のターニングポイントがなかったら、私も「あっという間」に定年を迎えていたのかもしれない。

仕事はもちろん大事なものだが、あくまで人生の一部に過ぎない。今回の田中先生のお話でそれを再確認することができた。

時に立ち止まって、自分の人生を、家族の将来を考えていきたい。コーヒーでも飲みながら、ゆっくりと。

(取材・執筆:フジテレビアナウンサー 榎並大二郎)

榎並大二郎
榎並大二郎

フジテレビアナウンサー 東京生まれ 2008年フジテレビ入社 「スーパーニュース」「バイキング」などを担当し、現在は「Live News イット!」に出演中 趣味は筋トレ、羊毛フェルト