「エルピス」「大豆田とわ子と三人の元夫」「カルテット」など、数々の話題のドラマを手掛けたドラマプロデューサーの佐野亜裕美さんは、2020年2月に14年働いたTBSを退社し、関西テレビに転職した。

報道番組が題材ということもあり「エルピス」を毎週食い入るように観ていた私は、主人公の恵那が組織と戦いながら自分の生き方を見つめなおす姿に大きな勇気をもらった。

聞き手:宮司愛海
聞き手:宮司愛海
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佐野さんとはその「エルピス」に関連する勉強会で出会ったのだが、組織に対する考え方に共感し、さらに深く話を聞いてみたいと思った。異動、休職、転職を経ていま佐野さんが思うことはどんなことなのだろうか。

30代…突然のドラマ部からの異動で心や体に“異変”

ーー転職されて3年目、現在の働き方はどうですか?

私はテレビ局を辞めてテレビ局に入ったので、転職というか横移動で居場所を変えただけという感じなので、やっていることは全然変わらないです。本当に楽です。
「辞めよう」って最初に思ってから3年くらいかかったんですが、実際に辞めてみたら意外と辞めるのって簡単だなって。

佐野さんは、3年前にTBSを辞め、関西テレビに転職した。そのきっかけは…
佐野さんは、3年前にTBSを辞め、関西テレビに転職した。そのきっかけは…

20代はTBSでアシスタントディレクター・助監督として、寝る間も惜しんで仕事に没頭した佐野さん。“学園祭の続き”のような感覚だったという念願のドラマ現場で、5カ月働き1カ月休むといったドラマ特有の働き方をしていた。そして、30代。立場も変わり、作品に対して責任の持ち方が変わっていくなかで会社という“組織”と自身の方針がすれ違い、希望ではない別部署への異動が決まった。

「異動になった理由はいろいろあると思うんですけど、自分もすごく子どもっぽい振る舞いをしてしまって、そういうことの積み重ねで異動になったんだと思います。私は“自分が必要とされているところで働きたい”と思っていたので、その時“必要とされてなかったんだ”ということにすごくショックを受けて。人生どうしよう、っていろんなことがぐらついて、適応障害とうつ、身体も同時に壊したものあり、出社できなくなってしまって」

異動で心や体に異変をきたし、1年2カ月休職をした
異動で心や体に異変をきたし、1年2カ月休職をした

必要とされている状態、つまり“他者に評価されるということが自分の価値観”で大きな比重を占めていたことに気づく。それはこれまでの考え方がぐるりと覆される大きなショックを佐野さんに与えた。はじめ“こころ”に現れた異変はいずれ身体にも影響を及ぼし、佐野さんは1年2カ月の間休職した。

「その間、友人でも離れていった人はいたんですよ。でも、『あなたの作るドラマを見たいんだ』って言い続けてくれる友人にすごく励まされて。『他者からの評価=自分の評価』っていうふうに思ってしまうと、苦しいだけだって、何度も何度も形を変えて伝えてもらって、ようやく元気になってきたんですよね。あのときが本当に人生の大きな分岐点で、それがなかったら、多分なんとなくうまく振舞ったまま偉くなっていったんだろうなと思います。あの時、異動になって本当に良かったって今は心から思います」

「自分には価値がある」と信じること

「他者からの評価をもとに自分の価値を量ろうとすると苦しいだけ」

分かっていても同じような苦しみを抱えている人は多いように思う。私自身も入社してほどなく「女だけど、気軽で気遣いの要らないポジション」に走りかけた時期があった。でも、そうあることで結局自分を傷つけていたのだと感じている。佐野さんは若手のころどうだったのだろうか。

「私もまさに20代はそんな感じでした。入社してから、飲み会はたくさんあったし、深夜に焼肉ハシゴするみたいなのも。そういうことに付き合うことでしか生き延びられないって思っていたんですよね」

自分の価値を他者からの評価で測ろうとして苦しかった時期も
自分の価値を他者からの評価で測ろうとして苦しかった時期も

ーー分かります。そう思い込もうとしていたところがありませんか? 

思い込んでいました。自分の価値をちゃんと自分で見積もれてなかったんですよ。だから結局、他者からの評価っていうところに基準を置かざるを得なかった。20代ってやっぱりいろんなことを教えてもらう立場だから、それに対して自分が返せることってなんだろうみたいな思考になっちゃうんですけど、でも実は会社には、少なくとも今の終身雇用型の日本の企業においては、20代の社員に対して仕事を教える義務があるわけじゃないですか。だから教えてもらって当然って割り切れてればよかったんですけどね。

自分の軸を作って、何かベースにあれば欲しいものが限られてくるという
自分の軸を作って、何かベースにあれば欲しいものが限られてくるという

ーー「自分が生きやすくなる」というのは、結局自分をどう捉え、自分でどういうふうに“生きやすく動いていけるか”なのかなと感じました。 

自分には価値があると信じることも大事で。自分の軸を作って、何かベースにあれば欲しいものが意外と限られてくるというか。だって「私は生きているだけで素晴らしい」みたいに。もちろん心からそう思えているわけじゃないけど、そう信じることが大事だし、それを補強するためにそういう信頼できる友人とかパートナーとか、そういう人がいるんだと思うんです。

ただ、そういう自分であっても組織と合わないこともいっぱいあるわけで、会社なんて山ほどあるし、今働き方もどんどん自由になっているから、嫌なら辞めたらいいと個人的には思っています。

組織の空気を変える第一歩は「具体性」

私はずっと“所属している組織の中でどう戦い、生き延びていくか”ということをテーマとして掲げていたが…。

ーーお話を伺っていると、そもそも場所を変えちゃうっていうことも大いに可能性として持っているべきだなと改めて思いました。

そうですね。もちろん何かやりたいことを達成するために一つの組織に居続けた方が結果やれるみたいなことももちろんある。私の場合はそうではなかったですが、例えばTBSに残って、またドラマ部に戻るっていう選択肢もあったんですけど、そのときにドラマ部に戻りたかったら「社内政治をちゃんとしろ」って言われたんですよね。

「いつ死ぬか分からないのにやりたくないことはやりたくない」と会社を辞め…
「いつ死ぬか分からないのにやりたくないことはやりたくない」と会社を辞め…

ーーあるあるですね。なんとも大企業的というか…。

大企業ですよね。その時「社内政治って何だ?」と思ったんですよ。漠然とは分かるんですけど、じゃあ具体的に誰に何をするっていうことが社内政治なのかとか、分からなくて。

体を壊したのもあって「いつ死ぬか分からないのに、やりたいことのためにやりたくないことをやるって何なんだ」っていう根本的な疑問にぶつかって、もったいないと思ったんですね。まだまだその時やりたいこともあったし、これを40歳まで持ち越すのはないな、みたいな気持ちがあって、辞めてみたっていう。

辞めてみたら自分を必要としてくれるところもやっぱりあって、そのことにまた励まされて。でも今回、“自分を一番求めてくれるところ”じゃなくて“自分がやりたいドラマを作るために”ここでならやれると思うところにしようっていうことは決めてたので。あそこで迷わなくてよかったと思いますね。

「妊活が大変で」と話したことがきっかけで制度が変わったという
「妊活が大変で」と話したことがきっかけで制度が変わったという

ーー一方で、今いる組織の中で自分の環境をどう変えていこうか悩んでいる人もいると思います。組織に対して個人が影響を与えるためにはどうすれば良いと思いますか? 

今いる組織の中でこうしたいっていうことを言ってみると、意外と聞いてくれる人がいたり、そのときは叶わなくても、覚えていてくれる人がいたりしますよね。

例えば、私は妊活をしている時期があって、その時に「本当に妊活が大変で」みたいなことをその当時の上司に言っていたらその上司が人事に異動したんです。そうしたら、妊活のことを詳しく教えてもらっていいかという電話が来て、2時間ぐらいいろいろ話をしたんですね。病院から「明後日午前中来てください」と急に言われる。そうすると、急に休みを取らなきゃいけない。それで、“半休をもっと取りやすくした方がいい”と提言したら、その1カ月後ぐらいにそういう制度ができて。

「もっとこうした方がいい」ということを言い続けていると企業が変わるきっかけになることも
「もっとこうした方がいい」ということを言い続けていると企業が変わるきっかけになることも

ーー実際に変わったんですね!確かに自分の考えって、口に出していかないと伝わらないですもんね。 

そうなんですよ。愚痴ばっかり言っているなと思われても「もっとこうした方がいい」ってことを言い続けていると企業側が変わるきっかけになることがある。それが結果同じようなことで苦しんでいる人の一助になることもあると思うんです。

40代のテーマは「自分に優しく他人にも優しく」

“やりたいこと”をベースに所属する組織を変えていく方法と、内側からじわじわと組織に変化を及ぼしていく方法。組織とのちょうどよい距離感や付き合い方はひとそれぞれだが、佐野さんの考え方には双方にとって大きなヒントがあると感じた。
最後に、いま仕事で悩んでいる若い世代に佐野さんが伝えたいことを聞いた。

「自分に優しく他人にも優しく」を40代のテーマにしていきたい、と自分に言い聞かせるようにして笑った
「自分に優しく他人にも優しく」を40代のテーマにしていきたい、と自分に言い聞かせるようにして笑った

「自分ができなかったことに対して『自分の努力が足りなかったから』って思いがちだけど、そうじゃなくて『努力できるのも、努力できる恵まれた環境にあるから』ということ。そもそもこの『努力できる環境にいられることがめっちゃラッキーなんだな』と。そして、他人に対してもできるだけそういうふうに思わなければいけない、他者に対しても、“できてないこと”がどうしても自分に厳しいと他人に厳しくなっていくので…。

なので『自分に優しく他人にも優しく』を40代のテーマにしていきたいと思っています。これまで本当に厳しくて、結構いろんな人を傷つけてきてしまったので、そこを変えたいっていうのが40代の目標です。今、自分のために言っています(笑)」

TBS時代の部署異動、心身の不調による休職、そして転職と、紆余曲折を経た佐野さん。価値観が根底から覆される苦しみを経験して「自分の価値は自分で決める」生き方にたどり着いた佐野さんの話を聞きながら、自分がこれからどう生きていきたいのか改めて考えるきっかけとなった。

(執筆・取材:フジテレビアナウンサー 宮司愛海)

宮司愛海
宮司愛海

世界は目に見えないものだらけ。
スポーツ取材を通して、アスリートの皆さんが重ねる見えない努力に触れてきました。だからこそ、自分から見える景色だけでなく、隠れているものごとを掘り起こし、ていねいに言葉にして伝えていくアナウンサーでありたい。そんな思いで仕事をしています。
福岡県で生まれ育ち、2010年に早稲田大学入学と共に上京。1年の休学を経て15年にフジテレビ入社。 入社後は「めざましテレビ」やバラエティ番組などを担当し、2018年からスポーツニュース「S-PARK」を担当しながら幅広いスポーツ中継に携わる。夏季東京オリンピック、冬季北京オリンピックでのメインキャスターを経て、2022年4月からは報道にフィールドを移し「FNN Live News Days」(月、火)を担当中。