日本三大珍味のひとつで、長崎の冬の風物詩である「からすみ」。一度閉業した長崎・野母崎地区のからすみ店が、このほど再スタートした。創業100年を超えていた店を復活させようと立ち上がったのは、意外な経歴を持つ女性だった。

本業はヘアメイク・ネイルアーティスト

からすみは、ボラの卵巣を塩づけにしたもので贈答品として重宝されてきた。

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長崎市南部の野母崎樺島町。冬場に北風が強めに吹く事から、からすみを乾燥させる場所として適していて、100年以上前からからすみ作りが行われている。

ここでからすみ作りを始めた、長崎市出身の松本今日子さん(48 ※取材当時)。

からすみ屋Raw 松本今日子さん:
これ片面どれくらい干す?

松本さんの大叔母・小川八重子さん:
かなり3時間くらいは干さんばやろ。干してからひっくり返してね

大叔母で、からすみ作り歴70年以上の小川八重子さん(88 ※取材当時)に作り方を教えてもらっている。

からすみ屋Raw 松本今日子さん:
(からすみを)あまり触ったことがなかったので、動画でからすみの作り方は出ていますけど、全く別のものなので。ビックリするところも多々ありますが、優しく教えてもらっていただいているので

からすみ作りを始めた松本さんの本業は、ヘアメイク・ネイルアーティストだ。地元の高校を卒業後、イギリスにわたり約10年働いた後、東京に。2011年の東日本大震災をきっかけに長崎にUターンした。

ネイルをした客:
キラキラして、あしたから頑張れそう

からすみ屋Raw 松本今日子さん:
最終的にネイルもからすみも、ツヤを出すのが仕事。どんなことをすれば輝きが出せるか考えながらしている

「からすみ店」再スタート

松本さんの大叔母・小川さんは、からすみ加工業「平野屋」の創業者の娘だ。

「平野屋」は明治時代の終わりごろからこの場所で、からすみの製造・販売を始め、多いときには毎年1,000本を販売していた。

当時、港には多くのボラが水揚げされていた。

松本さんの大叔母・小川八重子さん:
大きな貝で樺島じゅうに響かせる。「ボラが来たぞー」といって。樺島がうれしく、楽しい気分になる

からすみの原料となるボラは、1970年代後半には、長崎県内で年間600トン以上が水揚げされていたが、1997年以降は減少し、2006年には100トンを下回った。

漁獲量の減少は加工業者にとっては大打撃で、100年以上続いた樺島町のからすみ店「平野屋」は2017年に廃業した。その伝統を絶やしてはいけないと立ち上がったのが松本さんだ。

2022年末、「からすみ屋Raw」と屋号を改め再スタート。実施したクラウドファンディングでは、全国から100万円を超える資金や激励のメッセージが集まった。

からすみ屋Raw 松本今日子さん:
(再スタートは)自分が食べたかったのが一番ですね。道具もあるし、まだ大叔母も元気だし「作ってみたら?」の一言で決意しました

からすみ料理の開発も

高価で、手が届きにくいイメージのからすみを多くの人に手にとってほしいと、松本さんが取り組んだのは料理の開発だ。通っていた料理教室の先生にメニューの開発を依頼した。

松本さんが通う料理教室の先生 森部央子さん:
たまたま、今日子さんのからすみを知っていて(樺島に)買いに行こうと思ったら、閉まっていて残念という話をしたら「うちの家系のからすみだよ」と聞いて話が盛り上がって、まさか本当に復活するとは思っていなくて、それでぜひ応援したいと思って

今回開発したのはイタリアン。「ブルスケッタ」と呼ばれるトマトやチーズがのったバゲットに、からすみを加えたメニューなど、4種類を作った。

からすみ屋Raw 松本今日子さん:
私が求めていた通りにからすみの生臭さが消えていて、風味はしっかり残っていて、すごく食べやすい

開発したメニューを撮影し、写真をリーフレットにして販売するからすみに同封する。

食べやすさや、料理へのアレンジを見越して、からすみを小分けにしたことも松本さんのこだわりだ。

からすみ屋Raw 松本今日子さん:
こんな長崎の端っこでも「からすみね」とか「あそこは自分の所?」と言ってもらえるのがうれしかったので、今までと変わらないような品質でみなさんに届けられたら

100年以上続いてきた伝統復活へ、松本さんの挑戦はまだ始まったばかりだ。

(テレビ長崎)

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