年齢や障がいの有無に関わらず、住み慣れた地域で誰もが暮らせる「共生社会」実現に向けた取り組みが動き出している。

富山県でも、障がいがありながら地域で生きたいと願う家族がいる。

自閉症と重度の知的障がいがある子どもを育てる家族の1年を追ったドキュメンタリー。その願いをかなえたいと奮闘する家族を支えるものとは…。

前編では、障がいのある子どもがどう学び、社会と関わっていけばいいのか。息子の未来を思う母親の奮闘を負った。

発達が気になる幼児の数は増加傾向に

富山県富山市。

この地に住み続けて11年になる荒城さん一家は4人家族。

母・和恵さん、会社役員の父・謙一さん、中学生の兄、次男・恵良(けいすけ)くん。

次男の恵良くんは発達障がいの一つである自閉症で、さらに重度の知的障がいを抱え、話すことができない。

今、発達障がいをはじめ、さまざまな個性や特性を持つ子ども達が目立ち始めている。

富山大学人間発達科学部の宮一志教授は、「乳幼児健診の有所見率、要観察、要精検、要治療、治療中の何らかの問題があると判定された子どもがここ10年でかなり急増しています」と話す。

富山市内で行われた1歳半検診では、受診する子どもの数が減っていく中、有所見者、つまり検診で「発達が気になる」とされた幼児の数は増加傾向にある。

ハンデを持つ人々を受け入れ、ともに安心して暮らせる「共生社会」。その実現に向け、教育現場にも動きが出ている。

富山福祉短期大学・鷹西恒教授は「大枠の制度の部分にも手を入れて行かないと、なかなかうまくいかない。しかし、それよりも手っ取り早くできるとすれば、初等教育から障がいのある人と触れ合う体験をつくること。“百聞は一見に如かず”と言いますけど、やっぱり会って喋って触れ合って、それで感じたりわかったり、思いが変わったりすることはすごくたくさんあると思うんです」と語った。

次男の知的障がいに気づいたきっかけ

この取材を始めた2018年の春に出会ったのが、荒城さん親子だった。

和恵さんは恵良くんには障がいを抱えながらも、住み慣れた地域で生きていってほしいと願っている。

8年前の5月に恵良くんが生まれたとき、2000グラムの未熟児だった。しかし、当時は特に違和感はなかったという。障がいに気づいたのは、どんなきっかけだったのだろうか。

「まず朝起きて、『おはよう』と言っても無反応。パパが『会社行ってくるよ』と言っても泣かない。まったく無反応。あの時点から、あれっていうのは思った。

子どもは後追いをすごくするでしょ。上の子がひどくて、毎日毎日泣いて、きつかった。次男のときも『また来るぞ、来るぞ』と思っていたら、いつまでたってもこなかった。あれっ?と思って。本当に反応がない。

だから、違和感に気づいたのは早かった。遅くても10か月ぐらいには気づいていたと思う。でも、こういうものかなって。性格とかもあるでしょう。上の子とはずいぶん違うなっていうのと、まあでもこんなもんかなっていうのがあった。

決定的にわかったのは、1歳半検診の時。大勢の中にいるとやっぱりわかる。みなさんやっぱりおっしゃるの、無我夢中で育てていたらこんなものかなと思うのに、幼稚園とか入れてみたりしたら、あれっ?て。やっぱり普通に傷つく、親として」(和恵さん)

特別支援学校ではなく地元の小学校へ進学

2018年4月、恵良くんは地元の小学校に入学した。

和恵さんにとって、障がいを抱える恵良くんが地域の小学校に入学できるかは心配の種だった。

入学前には、荒城さんが暮らす地域から離れた特別支援学校を勧められたが、市の教育委員会や学校と粘り強く交渉を重ね、地元の小学校に通うことになった。

新庄北小学校にとっては、恵良くんのような重度の知的障がいを抱えた児童を受け入れるのは初めてのこと。そのため、発達の特性に応じて必要な支援をする特別支援学級で対応に当たった。

和恵さんは恵良くんを地元の小学校に通わせる理由についてこう語った。

「学校は全体的に見て“生きる力”を身につける場だと思っている。国語が、算数が、というのももちろん大切なんだけれども、それ以上に、自分の生まれ育った地域でみんなと一緒に集団で行動する。

周りにも理解してもらいながら、こちらも周りを理解してお互いに寄り添い合える、そういうものも大切。信号を渡ることができるようになる、暑い日でも雨の日でも寒い日でも、重いランドセルを担いで、長靴を履いたりかっぱを着たりして、慣れ親しんだこの土地を歩くことも、すごく大切。生きる力の第一歩だと私は思っている」(和恵さん)

授業にも付き添い、自宅でも学習に付き合う

恵良くんが通う新庄北小学校は、通常学級と特別支援学級の垣根が取り払われた校舎。発達の遅れや障がいのあるなしにかかわらず、常に子どもたちが触れ合うことができる。

恵良くんが入学以来、登下校に加え、和恵さんは授業中も付き添う。

なぜなら、和恵さんの同伴が入学の条件だったからだ。

当時の様子を和恵さんはこう振り返る。

「最初は順調だった。入学して3週間ぐらい過ぎたあたりから、突然狂ったように、これしかしない。見て、ひどいでしょう。縦方向しか線を書いてない。横がないの。そしたら、横方向に鉛筆を動かせないことがわかって、だから縦ばっかり。

なぞり書きが多分できなくてきつかったのよ。それに気付いた。1ヶ月間ずっと学校でこう。いろんな先生がこれを見るたびに『結局、恵良くんは何もできないね。無理だね、勉強』と」

そのため和恵さんは学校から帰ると、幼稚園の頃から続けている勉強に一層力を入れた。

障がいの影響で話すことができない恵良くんのため、和恵さんは人に意思を伝えることができるように文字を覚えるトレーニングをしている。

学習方法は、医療や教育現場の人たちから情報をもらいながら取り組んでいる。

「今は、なぞり書きとタブレット、(文字が書ける)タックシールとキーボードの4方向から文字を頭に入れるというのをやっていて。それがきちんと自分の言語としてのコミュニケーションになっていけばいいなと。今まずこれをやっているところ。

私にとっては、言葉はすごく大切なことなんだけど、それ以上に生きていく上での大切なことってもっとたくさんあって。

学校の先生が言う“何ができる、何ができない”って、私の中ではすごい小さい。

もちろん何かしていただけると、本当にありがたいことなんだけれども、そればっかりじゃなく。この地域で暮らしていく上で大切なことを身に付けたい。だって、恵良はたぶん運転免許取得は無理。そうなった時に、自転車もしくは徒歩で、ここらへんで暮らしていかなきゃいけない」

ハンデのある人と共に生きる“インクルーシブ教育”とは?

和恵さんは、いろいろな場所に恵良くんを連れて行くことを心掛けている。

恵良くんは環境の変化、特に音には敏感で、初めてのところに対応することが苦手。家族で旅行したときにホテルに入るのを嫌がって、数時間かかったこともあった。そのため、買い物に行くときは、スーパーなどへなるべく連れて行くようにしている。

「公園に連れてきては、家に帰ってがっかりみたいな。もう本当に疲れとがっかり。周りにすごく迷惑かけたなって。でも、公園の遊具の順番待ちとかも、毎回遊びながら教えていくしかなくて。毎回毎回来てたなあ…」(和恵さん)

共生社会実現に向けた取り組みは、2006年国連で障がいのあるなしに関わらず、共に学ぶ教育「インクルーシブ教育」が採択された。遅れること6年、日本では2012年に文部科学省がインクルーシブ教育の方向を打ち出した。

その動きは日本各地に広まり、荒城さんが住む新庄北地域でも、共生強制社会を考える研修会が行われた。講師は交通事故で障がいを抱えた鷹西教授だ。

鷹西教授は講義の中で、「小学校のときに特殊学級ってなかったですか。今は特別支援学校という名前になり、結構(通常学級と)交流するんですよ。でも昔の特殊学級は、隔離されているようなイメージないですか?ひどい話では“あそこに行ったら頭が悪くなる”みたいな。これは、みんな差別です。

そうじゃないだろうと思い、今の特別支援学校を作りました。この時に話題になったのが、セパレーション(分離)。障がいのある人には、障がいのある人の人生があるよ、と。このときに反対された方が多かったです。

インクルージョン(共生)というのは簡単に言うと、障がいのある人たちも一緒に包み込む社会。一緒に生きているという状態。当然、何もできない人もいるし、ちょっとしかできない人もいるし、なんでもよくできる人もいます。

ただこの人たちと一緒に生きているという実感。これをいかに持ってもらうかということが、これからの社会ですごく望まれているんです」と訴えた。

富山県リハビリテーション病院こども支援センター、子どもの発達に応じた支援を行っている。

障がいや発達が気になる子どもを持つ家族にとって欠かせない存在だ。

その現場を知る小児科部長・森昭憲医師はこう語る。

「病を持っている人、持っていない人を分ける。 “療養施設”という名のもとに別の辺鄙なところに施設を作ったり、精神疾患の方だったら、精神病院の中で住まう。

治療以上にそこで住むことを課せられた。学校となると、やっぱり隔絶感があり、養護学校など昔の印象がまだまだ大人に残っている。大人がそのボーダー(昔の印象)をどう克服していくかというところがこれからのテーマだと思います」

重度の知的障がい児の受け入れが初めてだった新庄北小学校では、特別支援学校から助言を求めるなど、恵良くんの発達に応じた教育環境を整える方法を探った。

そして、恵良くんは和恵さんとともに、この教室で学び続けた。

デイサービスの利用で親子別々に過ごす時間も

和恵さんは恵良くんと一緒に学校へ行き、恵良くんと一緒に授業を受け、学校から帰れば、恵良くんの学習に付き合う毎日を送っている。

「ほんの少しでいいから」と自分の時間を持つために、恵良くんを放課後等デイサービスに預けることにした。

一般の子どもが通う放課後児童クラブとは異なり、この放課後等デイサービスは6歳から18歳の障がいを抱えた子どもたちが預けられている施設。

恵良くんは和恵さんと離れて過ごすのは幼稚園以来、久々のことだった。

午前10時から午後4時までの6時間、久々に自由になる時間を持った和恵さん。車に乗った和恵さんは、「車のありがたみをすごく感じる。毎日子ども達と徒歩だから、何するにも。車って便利」と笑顔を見せた。

一方、恵良くんは和恵さんの心配をよそに、友達や指導員と楽しく過ごしていた。

四六時中恵良くんと付き合っている和恵さんは、感情的になることはないのだろうか?

こう尋ねると、「手が出るとまで言わなくても、やっぱり感情的に怒っている時はある。本当は叱るっていうスタンスでいかないといけないんだろうけど、怒っちゃうときもあって。その加減が難しかったですけど」と苦笑した。

こうして和恵さんが向かった先は、以前から欲しかった趣味に使う布地の買い物。

恵良くんのことを気にせず他人と話すのは久しぶりだった。

しかし、長いと思っていた6時間は、買い物と家事であっという間に過ぎた。それでも、障がい児を対象にしたデイサービスは、和恵さんにとっても大きな助けになっている。

後編では、和恵さんが小学校から突き付けられた現実と決断、そして恵良くんの未来を思う家族の思いについて迫っていく。

【後編】なぜ、重度の知的障がいがある息子を普通の小学校に?葛藤の末に両親が出した答え