女子挺身隊員として動員された愛知県の海軍工廠で、終戦の8日前に悲惨な空襲を経験した県内の女性がいる。
8月15日の終戦の日。97歳のこの女性の話に耳を傾け、改めて戦争について考えてみたい。

空襲体験が綴られた本
空襲体験が綴られた本
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歌声:
八月七日の爆撃に、空しく散りし五十余の…

これは、1945年8月7日、愛知県の「豊川海軍工廠」で空襲に遭い、亡くなった石川県の女子挺身隊員を追悼する歌だ。

豊川海軍工廠で空襲に遭った西村八重子さん(97)
豊川海軍工廠で空襲に遭った西村八重子さん(97)

西村八重子さん:
ああ豊川女子挺身隊~という歌があるんや

西村八重子さん(97)。「豊川海軍工廠」で空襲に遭い、生き残った隊員の1人だ。

戦争体験を語る西村さん
戦争体験を語る西村さん

西村八重子さん:
兵隊さんは赤紙といったけど、私たちみたいに軍需工場に派遣されるのは白紙動員といった。否応なしに、お前はいつ幾日かに学校の運動場に集まってくれと。ああもこうも言わずに、豊川まで汽車に乗って行ったんです。喜び勇んでいった。兵隊さんと一緒で、お国のためになると思って

徴用の紙(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)
徴用の紙(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)

1943年、不足する労働力を補うため、女子挺身隊が組織された。

女子挺身隊(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)
女子挺身隊(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)

石川県から女子挺身隊員として「豊川海軍工廠」に動員されたのは約500人。西村さんもそのうちの1人で、当時、双眼鏡作りに携わっていた。

石川県の女子挺身隊のメンバー
石川県の女子挺身隊のメンバー

西村八重子さん:
旋盤の工場に派遣されたやろ、ほんなもん鉄の棒こうして…って、見たこともないもんがそんなのできるか?だから私らみたいなのがお釈迦ばっかり作ったせいで、戦争に負けたと私は言っていた覚えがある

当時の豊川海軍工廠(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)
当時の豊川海軍工廠(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)

終戦間近の1945年8月7日。西村さんは午前7時に夜勤を終え、寄宿舎で休んでいた。すると…

西村八重子さん:
2階の人は下に下りてください。下の部屋より廊下に出てください、その放送が最後でした。夜勤から帰ってきて、邪魔くさいなぁって廊下へ出た。私はきょうの飛行機の音が特別大きい音、低空で飛んできた。私ひとりだけが正座してこうして(伏せた)

当時を語る西村さん
当時を語る西村さん

「東洋一の兵器工場」と言われた「豊川海軍工廠」に攻撃が迫る。

西村八重子さん:
敵は正門を狙ったわけや、そしたら私ら、一発目の爆弾で石川県の女子挺身隊の寄宿舎が吹き飛んで、一緒にいた子、影もかたちもない。こっぱみじん

寄宿舎の配置図(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)
寄宿舎の配置図(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)

午前10時13分、石川県の隊員が生活していた第12女子寄宿舎に、1発目の爆弾が投下され、空襲が始まった。B29爆撃機などにより、わずか26分間に3256発もの爆弾が落とされたのだ。

空襲目撃図(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)
空襲目撃図(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)

西村八重子さん:
私は(旧姓)石浦という名前やったんや、石さん石さんと呼ばれていた。もう忘れんのが、高井くに子さんという人と大二春江さんという人が、まだ鼻たらしい中学1年生か2年生くらいの頃かね、どこへ吹き飛んだやら「石さん助けて、石さん助けてくれ」って、地面の底から聞こえる、耳にこびりついている、絶対に忘れられんわ

空襲後の豊川海軍工廠(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)
空襲後の豊川海軍工廠(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)
絶対に忘れられないと話す西村さん
絶対に忘れられないと話す西村さん

この空襲で、石川県の女子挺身隊員52人を含む2500人以上が亡くなった。

空襲後の豊川海軍工廠(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)
空襲後の豊川海軍工廠(提供:豊川市桜ヶ丘ミュージアム)

石川県の寄宿舎にいて助かったのは、西村さんただ一人。

西村さんだけが生き残った
西村さんだけが生き残った

西村さん自身も腕に爆弾の破片が刺さり、骨盤の骨を折る大けがを負った。命からがらたどり着いた学校を利用した仮設の病院で見た景色について、西村さんは次のように語っている。

当時の証言を記録した「ああ豊川女子挺身隊」
当時の証言を記録した「ああ豊川女子挺身隊」

西村さんの文章:
学校は傷ついた人で足の踏み場もなかった。死体は校庭の一隅に積んであるということだった。異様な臭気が鼻をついた。「イタイッ!イタイッ」私はわめきながら運ばれた

西村さんが綴った文章
西村さんが綴った文章

西村八重子さん:
あんな爆弾にあったことだけは、一生忘れません。そういうことがあっての今の平和があるんだから、この平和を大事にしなきゃ。亡くなった人のおかげだと思わなきゃ

一生忘れないと話す西村さん
一生忘れないと話す西村さん

セミの鳴き声が響く…

2022年8月7日
2022年8月7日

西村八重子さん:
こんにちは、山へ上れるかなと思って

杖をついて歩く西村さん
杖をついて歩く西村さん

2022年8月7日、西村さんは金沢市の卯辰山を訪れた。

卯辰山の石段を登る西村さん
卯辰山の石段を登る西村さん

西村八重子さん:
毎年欠かしたことないです。私主役やもん、たったひとりの生き残りや

卯辰山にある「殉難乙女の像」
卯辰山にある「殉難乙女の像」

階段を登った先にあるのは「殉難乙女の像」。空襲で亡くなった石川県の隊員52人の死を悼み、60年前に建てられた。

空襲で亡くなった石川県の隊員の名前が刻まれている
空襲で亡くなった石川県の隊員の名前が刻まれている

当時、寄宿舎以外の場所にいて生き延びた元隊員や遺族で作る「豊友会」は、毎年8月7日にこの像の前で慰霊祭を行ってきた。

当時のニュース映像
当時のニュース映像

しかし時が経つにつれ、高齢化が進み、次第に規模は縮小…2022年、慰霊祭に参加した元隊員は97歳の西村さんだけだった。

今年の慰霊祭
今年の慰霊祭

鐘の音:
カランカラン

殉難乙女の像にある鐘
殉難乙女の像にある鐘

仲間に祈りをささげる。

黙とうする西村さん
黙とうする西村さん

西村八重子さん:
石さん、また会いに来ましたって。私、石浦って名前やったもんで

歌を唄う西村さん
歌を唄う西村さん

西村さんにとって8月7日は…

西村八重子さん:
忘れられん日、たくさんの友達を失った、本当に悲しい日です。本当に戦争だけはあってはならないことです。それだけしかいいようがない

西村八重子さん
西村八重子さん

終戦から77年。あの空襲を生き延び、追悼の歌を亡くなった仲間にささげられるのは西村さん、ただ一人となった。

西村八重子さん
西村八重子さん

西村八重子さんの歌:
ああ豊川女子挺身隊~♪

歌を唄う西村さん
歌を唄う西村さん

(石川テレビ)

石川テレビ
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