集中豪雨による土砂災害や河川の氾濫で299人が犠牲となった長崎大水害から、7月23日で40年となる。自宅が全壊しながらも、災害現場で救助活動にあたった元消防士の思いを取材した。

「うちは大丈夫」安易な考えが先に立ち、避難遅らせた

元消防職員・西元賢治さん:
大きな雨粒がバシャバシャ降っている状況だった。そのうちに裏山がガタガタガタとか、梅の木の根が切れる、ブチブチという音とか、土砂が家の外壁に当たってガシャンガシャンという音がしたので、これはいかんと思ってすぐ避難しました

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長崎市消防局の元職員、西元賢治さん(67)。
27歳で中央消防署に勤務していた西元さんは、当日は非番で、妻と子どもと上戸石町の自宅にいた。

元消防職員・西元賢治さん:
もう少し前に避難することを考えればよかったが、当時は「うちは大丈夫さ」という安易な考えが先に立って避難を遅らせた。寸前のところで逃げたというのが実情

家族全員で避難し、間一髪で難を逃れたが、周辺の多くの家が土砂に流され、住み慣れた町は一変。西元さんは近くに住む6人の男性とともに、連絡が取れなくなった隣の地区に向かった。

元消防職員・西元賢治さん:
水が膝くらいまで来ていて、大きい石はくる、小さい石は当たる、痛くて歩けない状況。おまけに長靴だったので、水が入って前に進むことが上手にできない

「すさまじい勢いで、すさまじい土石流が」

西元さんは「被災直後の写真」と「いま」を見比べながら、いまだ脳裏に焼きつく40年前の状況を語った。

元消防職員・西元賢治さん:
あそこの家と、この写真が一致する…こういう状況だった、当時は。まだまだ発見できない人を、行方不明者を救出している最中だと思います。すさまじい勢いで、すさまじい土石流が発生したんじゃなかろうかと

家を1軒1軒回って、取り残された人がいないかを探しながら救助活動にあたった西元さん。流された車や家を見つけるたびに、被害の大きさを実感したという。

元消防職員・西元賢治さん:
こっち方面から声が聞こえる。「おーい、助けてくれ」と。今は擁壁(ようへき)になっているが、そこに崩れた家があった。その中におじさんがいた。声がする方に行って瓦をはいで、そして中に入って引き上げた。そして、この道を通って、戸板に乗せて…担架替わりですね、近くの住宅に一時、避難していただいた

元消防職員・西元賢治さん:
助けて搬送している時に、着物が見えるなと思ったらその人の奥さんだった。奥さんも息をしてたので、大丈夫だと思って。もう一つ、戸板を持って来て同じように運んだが、残念ながらまもなく亡くなった。
旦那さんは大きい木が刺さっていた、太ももに。抜くにも抜けない、大量出血になるので。病院での処置をお願いしようと、翌日搬送した

懸命な救助活動を行ったが、上戸石地区では15人が亡くなった。

「災害を思い出す人も少なくなってきた」

災害で犠牲者はもう出したくない…。
現在、西元さんは地区の防災リーダーを務めていて、一人暮らしをしている高齢者の家を定期的に訪れ、声かけを行っている。

元消防職員・西元賢治さん:
こんにちは、賢治です、西元賢治です。今回、台風で雨もともなったけど、ひどくはなかったが、どうしてました?

1人暮らしの高齢者:
娘が「夜になったらひどくなって来れないから、前もって来ないと」と言って、連れに来てくれたので、一緒に避難しました

元消防職員・西元賢治さん:
それが一番いいですよ

また、大水害での経験を後世に伝えるため地区の行事に足を運び、講話も行っている。

元消防職員・西元賢治さん:
災害は忘れたころにやってくる、絶対やってくる。40年たったから、忘れたころです。思い出す人も少なくなってきた。若い人は生まれてもいません。自らの命は自ら守る、自助の精神は絶対に必要です

299人が犠牲となった長崎大水害から40年。西元さんは自らの経験を語り、地域の人の防災への意識を高めながら、命を守る行動を早めにとるよう呼びかけ続けている。

(テレビ長崎)

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