第81代内閣総理大臣を務めた村山富市さんが3月3日に100歳の誕生日を迎えた。
古里の大分県大分市で暮らす村山さんは「日本がどこまでも平和な国であり続けることを願っています」とコメントしている。

漁師の家に生まれ、地方議員として実績を積む

大分市出身の村山富市さんは1924年3月3日、漁師の家に11人兄弟の8番目として誕生。明治大学を卒業し大分県職員の労働組合で労働運動に取り組んだ後、大分市議会議員、県議会議員を経て1972年に衆議院議員に初当選。

大分の地方議員時代
大分の地方議員時代
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在任中は歴史に残る様々な出来事が…

日本社会党の委員長を務めていた時に自民党と新党さきがけの3党で連立政権を組む。そして1994年6月、第81代内閣総理大臣に就任。いまから30年前の出来事。

「首班指名選挙で当選をさせていただきました村山富市でございます。こういう場所で初めてご挨拶するものですから、心臓のときめきを感じますけども、いまの政治を改革する、そのために私で役に立つならその信条に応えられなきゃいかん。こういう気持ちで決意をしました」(村山富市氏 当時・自民党控え室にて)

「我々が目指すべき政治は、人にやさしい政治。安心できる政治であります」(村山富市氏 1994年7月所信表明演説より)

大分県からの初めての総理大臣誕生に地元も祝福ムードに包まれた。しかし、在任中には歴史に残る様々な出来事が…
1995年1月には阪神淡路大震災が発生。そして3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件なども発生し対応に追われた。

首相時代、地元大分で
首相時代、地元大分で

そして8月、戦後50年の節目に発表したのが村山談話。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」

時の総理として初めて「侵略」や「お詫び」という言葉を使い、注目された。

トレードマークは長い眉毛 愛称は「トンちゃん」

そして村山さんと言えばトレードマークの長い眉毛。愛称にちなんだ“トンちゃん”グッズも販売され話題に。

「最近ネクタイいっぱい持っちょん言わるん」(村山富市氏 1994年12月)

総理になっても変わらないこの大分弁が飾らない人柄を表していた。
在任中に大分に里帰りした時には空港にも…そして家の前にも多くの出迎えが。

トンちゃんグッズも登場
トンちゃんグッズも登場

それから1年あまりが経った1996年の年明け早々。

「私は本日、内閣総理大臣を辞任することを決意しました。与えられた歴史的な役割というものについてはある程度(戦後)50年の節目に、なすべきことはなしてきたのではないか」と辞任を表明。在任期間は561日だった。

2000年に政界を引退した後も講演会を行ったり、海外を訪問するなど精力的に活動を続けてきた。
総理大臣経験者として100歳を迎えるのは東久邇稔彦氏、中曽根康弘氏に続いて3人目。存命する総理経験者としては最高齢。

毎日午前6時半に起きて元気に散歩

ことし2月23日には母校・明治大学のOBが大分市の自宅にお祝いに駆けつけ、誕生日である3月3日付の新聞記事100年分をプレゼントした。

明治大学のOBが自宅を訪問
明治大学のOBが自宅を訪問

100歳を迎えた村山さん。今は、2人いるひ孫と遊ぶことをとても楽しみにしているそうだ。

同居する次女の由利さんは村山さんの日常について、「朝は午前6時半ぐらいに起きてちょっと身支度してから散歩に行きます。(家では)早口言葉を言ったり、それから昔の自分の挨拶文を出してきて読んだりしています」と話す。

また総理時代から続く几帳面な一面も。

「自分で使った洗面所もきれいに毎日洗いますよ。今も洗面所を使ったら自分で全部やるんです。総理大臣のときも自分で靴下を洗っていましたよ」(同居する次女の由利さん)

激動の時代に総理大臣を務めた村山富市さん。100歳を迎えたことについて。
「100歳と言われても、実感できない。今は1日1日を家族と 過ごせることを幸せに思っています」また、「日本がどこまでも平和な国であり続けることを願っています」ともコメントしている。

(テレビ大分)

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