299人が犠牲となった長崎大水害から、2022年で40年となる。
梅雨入りを前に、当時 土砂災害の被災地で捜索にあたった経験を今でも鮮明に覚えているという警察官に、防災への決意を聞いた。

「異常な雨」崩れる可能性あった裏山で捜索活動

長崎警察署・井手孝志署長:
私も警察官になって2年目だったので、無我夢中で掘り続けたというその記憶しかないんですけど。ご遺体を掘るのは本当悲しくて

299人が犠牲となった長崎大水害で捜索にあたった長崎警察署・井手孝志署長(左)
299人が犠牲となった長崎大水害で捜索にあたった長崎警察署・井手孝志署長(左)
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2022年5月、大雨のシーズンを前にした災害危険箇所の点検中、本川内奥山地区の自治会長にこう切り出したのは長崎警察署の井手孝志署長だ。

長崎警察署・井手孝志署長:
異常な雨ですね。雨の様子を見ながら、こんなに降る雨なんて見たことない、ちょっと鳥肌立つくらい怖かった

昭和57年7月23日の長崎大水害。

警察官になって2年目で、警察学校にいた井手さんは、奥山地区で翌朝から教官や他の学生たちと行方不明者の捜索に当たった。

長崎警察署・井手孝志署長:
若い警察官が、1個小隊分30人は(被災地に)入ったんですよね。裏山がまだ崩れる可能性があるからということで、警笛を持って、3人ぐらい裏を見ながらですね。崩れ始めたら吹け、避難するぞ、みたいな、そんな状況下での救出だったですけど。
30人集まって、装備がシャベルくらいしかなくて。大きな木を動かすのに、ロープをかけて30人で引っ張った。こんなに重いものかと。重機が入ってからは作業が進みましたね

九州管区から警察官が駆けつけ、自衛隊の協力も得て捜索活動が続けられたが、奥山地区では結局、今も1人が見つかっていないままだ。

長崎警察署・井手孝志署長:
40年前に現場に入った者とすると、未だに怖いと思っています。きょうの現場を見る限り、急傾斜地に家がある。そして、そこに高齢の方々がお住まいになっている。いよいよ雨がひどくなったころには、避難できなくなる。小雨のうちに避難していただく。安全な小学校の体育館に避難していただく。
そのために、私たちは情報発信をし、時としてパトカーも出したいと考えています。もし足のご不自由な方がおられたら、パトカーででも避難所までお送りしますから

自治会長:
そういっていただけたら、心強いです。

空振りになっても避難誘導…市民救うため自分の命も

奥山地区と並び、長崎警察署の管内で特に被害が大きかった鳴滝地区。ここでも、土砂災害で24人が亡くなった。

井手さんは、行方不明者の捜索に当たった警察学校の同期生から聞いた話が、今も忘れられない。

長崎警察署・井手孝志署長:
子どもたちに覆いかぶさって、守るように埋まっているお母さんを見たんですかね。救助活動の隊員は、手を止めて合掌するしかないっていう。そんな話を同期生から聞きながら、最後の最後まで家族守ろうとするっていう、その親の気持ちですよね。子どもたちの将来を思いながら埋まっていった親の気持ちっていうのを、われわれは想像するしかないんですけど、それを忘れたらいかんよねって、そういう風に思ってます。
ここにまだお住まいの方々がいらっしゃる。その方々が安全に避難できる時間帯に避難誘導する。夜になってからでは遅い、空振りになっても構わないと、笑いながら家に戻っていただく。それを繰り返していきたいなと思っています

紫陽花の花に彩られ、市民や観光客が憩う中島川。あの日、濁流があふれた傷跡はもう残ってはいない。

あの夜、警察は長崎市の避難勧告より早く、午後8時前後にはすでに住民に「高いところに避難を」と呼びかけた。

長崎警察署・井手孝志署長:
警察官は目の前にある命を助ける、そのために全力を投球する

東京大学新聞研究所の調査によると、中島川周辺と浜町、丸山で長崎警察署はあの夜、通行人も含め3,759人の避難誘導にあたっている。

長崎警察署・井手孝志署長:
(若い警察官に伝えたいことは)災害時に、警察官はとにかく市民を救うために自分の命を守れ。そして1人でも多く助けろ。今、目の前にある命をどうやって助けるか、そのことしかないんですよ、あの現場は。どうにもならない。自分の命をかけてでも、そういう修羅場を経験して、その経験を積み重ねていく中で、一人前の警察官として成長していくんだろうと思います

(テレビ長崎)

テレビ長崎
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