5月28日、オランダのフランス大使館を武装占拠したハーグ事件の殺人未遂罪などで懲役20年の刑で服役していた日本赤軍の重信房子元最高幹部(76)が、「東日本成人矯正医療センター」から出所した。警察の警備も敷かれる中、重信元最高幹部は黒い帽子に白いマスク姿で、集まったおよそ30人の支援者らに手を振りながら出所した。出所からおよそ10分後。集まった大勢の報道陣を前に刑期を終えた心境を明かした。

出所後、取材に応じる重信房子・元最高幹部(5月28日 東京・昭島市)
出所後、取材に応じる重信房子・元最高幹部(5月28日 東京・昭島市)
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重信元最高幹部:生きて出てきたという感じが強くある。自分たちの戦闘を第一にしたことにより、見ず知らずの無辜の人たちに被害を与えたことがあった。古い時代とは言え、この機会にお詫びします

出所にあわせて公開された「再出発にあたって」と題された4枚の手記でも、テロ行為に及んだ70年代を振り返った上で、謝罪と反省が綴られた。

重信元最高幹部が公表した手記「再出発にあたって」
重信元最高幹部が公表した手記「再出発にあたって」

手記「再出発にあたって」:日本赤軍の斗い(たたかい)の中で政治・軍事的に直接関係の無い方々に心ならずも被害やご迷惑をおかけしたこと、ここに改めて謝罪します。革命の『正義』や『大義』のためならどんな戦術をとってもかまわない、そんな思いで70年代斗い続けました。自分たちを第一としている斗い方に無自覚でもあり、無辜に方々にまで、被害を強いたことがありました。

一方で、服役中に癌の手術を4回行ったことなどから、健康上の不安をあげ、出所後は「治療やリハビリに専念する」と述べた。そして以下のように最後を締め括った。

手記「再出発にあたって」:求められれば時代の証言者の一人として、反省や総括などを伝えることを自らの役割として応えていくつもりです

重信元最高幹部の娘メイさんが明かす出所前の心境

取材に応じる重信メイさん
取材に応じる重信メイさん

重信元最高幹部の出所が目前に迫った5月25日、娘の重信メイさんが都内でFNNの単独取材に応じた。重信メイさんは、重信元最高幹部とパレスチナ人の活動家の間に生まれ、現在はジャーナリストとして活躍している。5月28日の出所にあわせて、4月中旬にレバノンから日本に帰国し、1ヵ月以上にわたって出所後の生活の準備などを進めている最中だった。

重信メイさん:(重信元最高幹部が)癌になったり手術も何回もして、生きて出てきてくれるかもわからなかった中で、無事出てきてくれることが第一に安心して嬉しいです。

生きて出てくることが何よりまず嬉しいと記者に告げた上で、出所に際してこれまでの“誤解”を解きたいとも口にした。

重信メイさん:ハーグ事件が起きた1974年は私が生まれたばかりの時で、組織の中でも軍事に関わるような立場でも無かったんです。直接の証拠は無いけれども彼女の地位からするとひょっとしてこれは関わっていたのではないか、そういう裁判だったので、ある人間の22年弱を奪われたような感じです。

重信元最高幹部は、ハーグ事件を指揮した罪などで国際手配された後、2000年に潜伏していた大阪府内で逮捕された。その後、2001年から始まった裁判では「自分は事前の共謀に加わっていない」などと一貫して無罪を主張したが、一審・二審と懲役20年の判決が言い渡され、2010年に最高裁で刑が確定し服役した。

重信メイさん:(日本赤軍のリーダーとして)グループの責任は取るけれども、(ハーグ事件について)自分は無罪だということは最初から最後まで変わらず、未だに無罪を訴えています

重信元最高幹部は、日本赤軍のメンバーがテロ事件を起こしたという事実は認め、そのことについてグループのリーダーとしての責任は痛感していると言うが、ハーグ事件への関与については「事前に謀議を図っていない」と獄中からも無罪を訴え続けていた。

日本赤軍が関わるテロ事件はハーグ事件のみではない。1972年に起きた、現在も逃亡中の岡本公三容疑者ら日本赤軍メンバー3人がイスラエルのロッド国際空港で自動小銃を乱射し26人が死亡した、テルアビブ銃乱射事件もある。これについてメイさんは「母は全く関与していない」と前置きした上でこう続けた。

重信メイさん:大手メディアはパレスチナのことなんて注目もしていない時期だったので、“武装闘争”を起こすことで注目を受けて、各国とパレスチナが話すきっかけを作ると言うことが母の頭の中にあったみたいです。自分たちの運動の中で、全く関係のない人たちが亡くなったことについては、深くお詫びをするとずっと言っています。

日本赤軍のテロ事件に関して振り返った上で、出所後の生活に関して不安な点を口にした。

重信メイさん:社会は冷たい所もあって、母のことを人殺しみたいな感じで傷つくことをされたり、嫌がらせを受けたりすることを心配しています。また癌が見つかっているのでまずは治療を第一考えたいと思います。

日本赤軍は歴史の1ページの話なのか

逮捕後、東京に移送される重信元最高幹部(2000年)
逮捕後、東京に移送される重信元最高幹部(2000年)

逮捕された当時は54歳だった重信元最高幹部も、懲役20年の刑期などを経て現在は76歳になっている。服役中には癌の手術を4回行い、9つの癌を摘出したことが影響しているからだろうか、出所後の足取りもおぼつかなく、逮捕当時にみせた“カリスマ性”はもはや感じられなかった。

手記の中で「『武装闘争路線』が間違っていた」と総括した上で、依然逃亡している岡本公三容疑者ら7人については「必要とされる場で生き抜いてほしい」と述べた。さらに出所後には報道陣のカメラの前で、「警察情報だけを鵜呑みにしないで、テロリストと言われる人がいれば、なぜその人がテロリストと言われるのか、言っている人の意図をよく読み取って頂きたい」とも訴えた。

一方で、警察庁の中村格長官は、今月2日の定例記者会見で、日本赤軍について未だ7人が逃亡したままであることなどをあげた上で、「日本赤軍は解散を表明しているが、解散は形だけのものに過ぎず、テロ組織としての危険性がなくなったと見ることは到底出来ない」と述べた。警察当局は、重信元最高幹部らの動向を引き続き注視し、警戒を続けることにしている。

(フジテレビ司法クラブ熊手隆一)