東日本大震災の発生から15年。被災地では、膨大な数の思いが言葉となって紡がれ、報じられてきた。
しかし、あの日生き残り、伝える側になった被災者の胸の内には、常に葛藤と模索があった。
そんな中でも、仙台放送の取材に継続的に応じてきた2人の証言から、震災報道のあり方を考える。
1000年後の命を守る「石碑」と、少女が感じた恐怖
872人が死亡または行方不明となった女川町。町出身の伊藤唯さんは、震災後、津波到達点よりも高い場所に「いのちの石碑」を建立するプロジェクトに携わった。
伊藤さんたち女川第一中学校の生徒たちによるこのプロジェクトは、生徒自らが呼びかける募金活動などを通して、全国から1000万円もの寄付を集めるなど大きな注目を浴びた。
だが、当時中学生だった伊藤さんにとって、無数のカメラを向けられる心境は複雑だった。
伊藤唯さん:
戸惑いがあったし、子供ながらに、大勢の知らない大人たちが環境が変わった状況の中に入ってくるというのは、すごく恐怖だった。
自らの言葉がどう伝わるのかという不安を今も抱えながらも、伊藤さんは生まれ育った町を一変させたあの日の光景を伝え続けてきた。
伊藤唯さん:
震災直後は子供だったので、素直に夢なんじゃないかと思った、あの日の出来事や光景をそのまま伝えられたらと思った。
初めて命と向き合ったというか。子供のころは命のこととか、あんまり考えないじゃないですか。だから命のことを考えるきっかけが震災だった。
自分の言葉で伝える怖さは常にありますが、誰かが私たちの経験や今の活動を伝えないと、経験してきたことが無駄になってしまうような気がするので。
こういうつらかった、苦しかった経験は今の子どもたちにしてほしくないですし、災害は防げないと思うので、そのときにどう対処できるか、今のうちからできることを伝えるのが自分の使命かなと考えています。
彼女が中学生の時に詠み、石碑に刻んだ句には、当時の決意が宿っている。
「愛すべき未来のために我が道を」
伊藤唯さん:
今思い返してみると、真っ暗闇の中でも、未来を見据えていたと思う。
伊藤さんは、伝えるということから逃げなかった15年前の自分をそう振り返った。
大川小学校で亡くなった娘と、報道という名の「窓」
石巻市立大川小学校で次女・みずほさんを亡くした佐藤敏郎さんは、児童74人と教職員10人が犠牲となった現場で、語り部としてあの日起きた出来事を伝え続けている。
学校の管理下で犠牲となってしまった尊い命。石巻市が開いた保護者説明会には、数多くの報道機関が詰めかけた。
保護者のほとんどが取材を拒否する中で、取材に応じ続けてきた佐藤さんだが、当初は報道に対する拒絶感を抱いていた。
佐藤敏郎さん:
拒絶する気持ちはすごくありました。めでたいことでもないし、悲しいことを語りたくないし、教えるものでもないと思っていた。
しかし、記者たちの苦悩に触れる中で、佐藤さんの考えは「共感」へと変わっていった。
佐藤敏郎さん:
あの壮絶な現場に、メディアの人はカメラをぶら下げて立ち尽くしていました。「お前たち何しに来たんだ、帰れ。」と言われる人もいれば、逆に「メディアでしょ。これを全部写真に撮って全世界に伝えろ。」と言われる人もいました。どうすればいいか分からず、立ち尽くすしかなかったんです。
遺族の気持ちをあなたたちは分からないだろうって。分かるはずないんですよ、遺族じゃないんだから。遺族じゃない人の気持ちも俺らには分からない。
でも、同じ人はいない。全部違うけれども、そんなに違わないということです。重なる部分は必ずあります。相手のことをもうちょっとずつ思いやっていけば、完璧には重ならなくても、一緒に進んでいく、取り組むことはあるだろうなと。

一方で、メディアに対しては「センセーショナルな部分だけを切り取らないでほしい」と釘を刺す。
佐藤敏郎さん:
やっぱりそれが独り歩きするんですよ。でも俺はその話だけしているわけじゃないんですよね。でもそこだけ伝わると、「この人あの話ばっかりしているな」みたいな印象を受けるんじゃないかなと思うんです。
私も震災に限らずほかのいろんなニュースを見ても、それすべてだと思って見てしまっている自分もいるし。だからといって、あの語り部全部を伝えられないだろうし。私もこの目の前にいる人とその場を共有しながら伝えている言葉ではあるんですよね。それを特にテレビとか新聞のために伝えている言葉ではないので、それは分かっていただきたいなと。
「共同作業」としての未来への学び

2021年に震災遺構として整備された大川小学校。
当時の資料などを集めた伝承館には、1枚の「窓」がある。
そこから見えるのは、子供たちが見つかった最期の場所だ。
佐藤さんは、メディアの報道や自身が行う伝承活動を「窓」に例える。
佐藤敏郎さん:
私たちが取り組むこと、あるいはメディアの報道も「窓」ですよね。すべてではない。その窓の外の風景とか部屋の中が、想像できるような、深めていけるようなものになればいいなという意識はあります。簡単ではないですけれども。
一つの断片的なニュースや情報(窓)がすべてではない。しかし、窓を通してその奥にある真実や未来を想像することはできるはずだ。
佐藤敏郎さん:
未来に向けて、何か意味のあるものに。あのときあんな出来事があったんだけれども、これが少しでも何か意味のあること未来につながることなのであれば、取材する側もされる側も、お互い共同作業というか、学び合うというか。それでより良いものにしていきたいなと思いますよね。
伝える側と伝えられる側。双方が「共同作業」として震災に向き合うことで、新しい防災と伝承の形が見えてくる。
