東日本大震災で被災した宮城、岩手、福島の今を伝える「明日への羅針盤」。今回は宮城から。家族を亡くし2人きりになった父と息子。2022年に成人した息子は、夢をかなえてくれた父への新たな誓いを胸に歩み始めている。

父と歩んだ11年「決意新たに頑張る」

宮城県気仙沼市で開かれた成人式。会場には、ある親子の姿があった。千葉瑛太さん(20)と父親の清英さん(52)。

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瑛太さんは震災の津波で、母親の美奈子さん(当時40)と妹のくるみちゃん(当時6)、祐未ちゃん(当時3)、祖父母を失った。

父・清英さん:
感極まるものがちょっとあるんですよね

新成人代表:
東日本大震災から、まもなく11年がたとうとしています。私たちも20歳を迎えることができました

瑛太さんにとっての、これまでの20年。

千葉瑛太さん:
野球をやってきて、その思い出が大きいかな。成人式があったから何か変わるかというと違うかもれないが、決意を新たに頑張ろうという感じで

2011年10月、気仙沼市で開かれた東日本大震災追悼式で、当時10歳だった瑛太さんは父親の清英さんに見守られながら「お別れの言葉」を語った。

千葉瑛太さん(当時10歳):
くるみ、4月から小学校だったね。祐未も幼稚園を目指してあいさつの練習をしていたのに。もっともっとケンカがしたかったです。みんな天国にいっちゃったんだよね。いつまでも天国からパパと僕を見守っていてください。僕は千葉家の家族に生まれてきてよかったです

親子の夢だったバッティングセンターが気仙沼に

あの日を境に9人家族から、父親との2人暮らしになった。

2人を支えたのが「野球」だった。震災後、練習のために岩手県のバッティングセンターに通っていた2人。瑛太さんがつぶやいた一言が、2人の人生を変えた。

「お父さん、気仙沼にバッティングセンターを作ってよ」。

父親の清英さんは建設資金に充てるため、経営していた牛乳販売店で新商品を販売。

全国からの支援も受け、2014年に親子の夢だったバッティングセンターが気仙沼に完成した。

高校進学を機に野球を辞め、上京した瑛太さん。今は海外留学も視野に入れて東京でインターネット関連の仕事をしている。

「一生懸命、今を生きていこうと思う」

成人式の後、瑛太さんと清英さんは家族が眠るお墓に手を合わせた。

千葉瑛太さん:
成人式終わりましたよということと、イギリスに行こうか、日本でもう一度頑張ろうか迷っているけど、選んだ道を自分で正解にしていくと伝えた

瑛太さんが今、父・清英さんに伝えたいことは?

千葉瑛太さん:
そうですね、ありがとうですかね

父・清英さん:
私も一緒ですよ。「バッティングセンターを作って」という言葉がなければ、私の人生は同じように、時間だけ過ぎていたのかなとか。本人は本人らしく、楽しくやってくれれば。いつもそれは思っています。やりたいことを全部やってほしい。健康に気を付けて

実は瑛太さん、成人式の会場で提出する「成人の抱負」にこんなことを書いていた。

「親孝行できる男になる」。

千葉瑛太さん:
一生懸命生きて、元気よく楽しく、前に進む姿だけでも、親孝行につながると思う。一生懸命、今を生きていこうと思う

(仙台放送)

仙台放送
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