毒親に育てられた子どもの苦悩を考えたことはあるだろうか。彼らは“毒親育ち”と呼ばれ、大人になってからも精神的な不調を抱えたり、子育てに苦しむことがある。

「聞きコミ PRIME online」に寄せられた投稿の中から、新たに毒親エピソードを寄せてくれた2人に同意を得て、体験や人生への影響について伺った。前編では、支配的な母親と養父の体罰に苦しめられた50代女性の経験を紹介する。

養父の体罰と支配的な母親

近畿地方在住の50代女性、ぴよぴよさん(投稿者名)は幼い頃に両親が離婚。10歳の時に母親が新しい父親と再婚するも、そこが“地獄”の始まりだった。

待っていたのは、養父からの日常的な体罰。同居から間もなくして平手打ちされ「お父さんのことをどう思ってる?」と言われたのを皮切りに、理由もない暴力が続いた。

理由もない暴力が続いた(画像はイメージ)
理由もない暴力が続いた(画像はイメージ)
この記事の画像(7枚)

母親は養父を止めることはなく、同調してつらくあたった。母親は全てが思い通りにならないと気が済まない性格で、ぴよぴよさんが遊んだりものを買うことも許さなかった。周囲には“良い親”を演じ、親戚や友人に実情は伝わらなかったという。

「(養父の暴力は)ストレス解消に近いと思います。突然『お前ちょっと来い』と言われ、涙が出るまで執拗に叩くのです。理由を教えてくれるわけでもありませんでした。母親は私が喜んでいたり、楽しんでいることが面白くないという考えの人でした」

母親も同調してつらくあたった(画像はイメージ)
母親も同調してつらくあたった(画像はイメージ)

ぴよぴよさんはASD(自閉症スペクトラム、アスペルガー症候群)の傾向があり、幼少期は対人関係が苦手だった。母親はそこが気に入らなかったのではないかともいう。

愛情のなさを実感したのが、小学校高学年のクリスマスの日。プレゼントには期待をしていなかったが、その年には枕元に何かが置かれていた。ただよく見ると、それは直前に身に覚えのない言いがかりで没収された、おもちゃの人形だった。

「要は親2人とも、自分たちのたばこなどを買うお金はあっても私に使うのは嫌だったようです。普通の親なら『ごめんね。お金が無くて買ってあげることが出来なくて』というかもしれません。そのような一言が言えないのが、私の親でした」

きょうだいでの差別にも苦しんだ

きょうだいでの差別にも苦しんだ。ぴよぴよさんには弟がいるが、両親は思い通りにできる弟をひいきして、弟にだけ小遣いを渡すなどの差別をするようになった。母親が弟に吹き込む形で一緒に馬鹿にすることもたびたびあったという。

ぴよぴよさんは中学時代にいじめに遭い、学校にも家庭にも居場所がない状況で、学業の成績は落ちていったそう。高校の進路に悩んでいる時も、両親は嘲笑してきたという。

学校にも家庭にも居場所がなくなった(画像はイメージ)
学校にも家庭にも居場所がなくなった(画像はイメージ)

「今も恨んでいる」というのが、高校生の時の出来事。ぴよぴよさんが友人からアーティストのライブに誘われて楽しみにしていたところ、それが気に入らない両親は弟を代わりに行かせろと圧力をかけたという。結果的に友人とほぼ面識がない弟が行くことになり、友人は「弟だから」と我慢してくれた。

弟を行かせた親2人はとてもうれしそうだったという(画像はイメージ)
弟を行かせた親2人はとてもうれしそうだったという(画像はイメージ)

ぴよぴよさんは高校卒業後に就職。高校でかかった学費を返そうと、懸命に働いたお金で約300万円を返済したが、そのときも感謝の言葉は一切なかった。さらに、母親はこの頃から家を追い出そうとするようになる。

親戚に電話をして「家出する準備でもしてるんじゃないの?」と聞こえるように言ったり、就職先の会社に寮があると知ると電話をして「寮に入れてよ!」と怒鳴り散らした。この寮は実際には使うことができない状況で、ぴよぴよさんが叱られることになったという。

毒親との絶縁と人生での後悔

両親の嫌がらせが収まったのは、20代で結婚をして実家を離れてから。2人の子宝にめぐまれ、夫は今でいうイクメン。不慣れながらも育児を積極的に手伝ってくれたという。ぴよぴよさんは喜びを感じる反面、家庭環境の違いにショックを受けた。

「主人も裕福な家庭ではありませんでしたが、一般的な家族関係でした。私とは180度違っていました。そのギャップを見て、自分の親に対するむなしさを感じたのです」

自分の親に対するむなしさを感じた(画像はイメージ)
自分の親に対するむなしさを感じた(画像はイメージ)

ぴよぴよさんと両親との関係性は、数年前から絶縁状態となっている。養父から頼まれて一時はつながりを持ったが、育児に対する考え方の違いで母親とトラブルになり、「あなたの親を辞める」と連絡がきたそうだ。これを縁切りの機会と捉えて、一切の連絡を絶った。

「養父は愛情を知らずに育った、母は産めよ育てよの世代で愛情が薄かったそうです。今思うと母親も自分の親にしたいことをさせてもらえなかったのかもしれません。だから、私が楽しんでいると気に食わない、負の連鎖があったのではないでしょうか。でも、私のようにビンタをされ恐怖に怯えて育ったわけではないのですから…」

縁切りのきっかけとなった母親の連絡(提供:ぴよぴよさん)
縁切りのきっかけとなった母親の連絡(提供:ぴよぴよさん)

ぴよぴよさんは30代の頃にうつ病と診断されたが、治療をしつつ子どもを育てあげた。育児で心がけてきたことが、子どもの楽しみを奪わないこと、やみくもに否定しないこと。養父と母親にされたことを繰り返さないことが、結果的には毒親への復讐になったという。

ぴよぴよさんは夫に感謝しつつも、人生で後悔していることが一つあるとつぶやいた。それは、幼少期に両親が離婚したときに、優しくて暴力も振るわない、実父についていかなかったことだ。

「離婚の理由はわかりませんが、当時は実父が悪者にされて、母親に都合の良い話ばかりを聞かされていました。今思えば、私は最初の選択を誤ったのだと思います」

ぴよぴよさんはつらい経験を子育てに生かしたが、それでも人生への後悔はあるという。学校にも家庭にも居場所がない状況は、子どもの未来を奪うことにもつながりかねないのだ。後編では、普通だったはずの母親が毒親に変貌し、人生を狂わされた20代女性にお話を聞いた。

※本記事は、ぴよぴよさんのインタビューをもとに構成しました。

プライムオンライン編集部
プライムオンライン編集部

FNNプライムオンラインのオリジナル取材班が、ネットで話題になっている事象や気になる社会問題を独自の視点をまじえて取材しています。