毒親に育てられた子どもの苦悩を考えたことはあるだろうか。彼らは“毒親育ち”と呼ばれ、大人になってからも精神的な不調を抱えたり、子育てに苦しむことがある。
編集部に新たに毒親エピソードを寄せてくれた2人に同意を得て、体験や人生への影響について伺った。後編では、家庭環境の変化により、母親が毒親へと変貌した20代女性の経験を紹介する。
笑わせたかった母親が毒親に
東日本在住の20代女性、もちそばさん(投稿者名)は家庭環境の変化により、母親が毒親に変貌。その影響で精神を病んでしまった。
ごく普通の家庭に生まれた、一人娘。父親は家庭に関心を示さない、母親は自己愛が強くて思い込みも激しかったが、暴力などを振るわれることはなかった。ただ、幼少期から複数の習い事を強制的にさせられていたことに若干の違和感はあったという。
「明らかに向いていないことをやらされたので、つらかった。母親は『やらせてあげているのに。お金もかけてあげているのに』という感じ。私は『嫌だけど行かなきゃ』と、自分の意思がありませんでした」

家庭環境が崩れ始めたのは、思春期を迎えてから。中学時代に父親の浮気が発覚すると、夫婦仲は冷え切ってしまい、生活のためだけに一緒に暮らしているような状態になった。
ただ母親ともちそばさんの仲は悪くなく、高校を卒業するくらいまでは、母親が笑ってくれるようにと、学校での出来事を面白おかしく話すのが日課だったという。
「共依存なのかは分かりませんが、その時は母親と2人の世界で生きていた。笑ってほしかったのだと思います。母親も当時はそこまでおかしくはなかったのです」
離婚を経て変貌…娘に「ブス」を連呼
毒親への変貌を加速させたのが、父親が離婚を望んだことにある。母親は納得はせずにもつれたが、結局は当時大学生だったもちそばさんを連れて出ていくことになった。その後に調停離婚となる。
そうすると、母親は「(もちそばさんが)結婚しなくてもずっと一緒に住めるように」と収入に見合わない立派なマンションを借りた。だがそれは完全な独断で、もちそばさんは将来的な別居を考えていたという。それに気づいたのか、この辺りからは母親は変わった。

もちそばさんを名前ではなく「ブス」と呼ぶようになり、ことあるごとに「親を馬鹿にしているのか」「理詰めで反論しやがって」と激高するように。新興宗教に入り、その集まりでもちそばさんの悪口を言ったことを本人の前でうれしそうに話した。
もちそばさんは精神的に追い込まれ、せめて容姿を馬鹿にされないようにと、アルバイト代で化粧品売場の商品を買いあさるようになったという。
「私もおかしくなっていました。買えば可愛くなれると思っていて。使い切れないのに季節限定の商品なども全て揃えて、支払いが何万円になることもありました」
「支え合って生きていこうねとならなかったのが、母からしたらショックであり、絶望であったのかもしれません。娘に恩を仇で返されたという感じなのかもしれません」

今でも覚えているのが、人生を左右する就職先を母親に決められたこと。もちそばさんは大学生の頃、不登校や学習に遅れがある子どもを支えたいと家庭教師の仕事を目指していた。就職活動は順調で、中小企業にほぼ内定をもらっていた。それと同時期に、別業種の大企業から地方採用の内定も出ていた。こちらはやりたい仕事ではなかったという。
それを知っていたのにもかかわらず、母親は大企業を選ぶように強制した。企業規模の違いもあるが、理由は家庭教師の仕事が遠方に転勤となる可能性があることだった。母親はもちそばさんを支配していたかったのだ。
仕事と母親のストレスで精神を病む
もちそばさんは母親に逆らえずに大企業に就職するも、仕事は性格的に合わない。家庭と職場のストレスで“躁うつ”状態になり、精神科医から勧められて親から離れることを決心した。仕事に苦労しつつ必要な資金を貯め、約1年後には別居できた。

大企業も約3年で辞めることになり、現在は知人の紹介で事務員をしている。以前は過去を思い出すだけでパニックになっていたが、今は周囲に理解してくれる人たちがいて、精神的に安定することができているという。
その一方で精神科には定期的に通い、薬での治療を続けている。母親に殺されたり、父親に暴行される(実際の経験はない)悪夢を頻繁に見てしまい、うつ状態になるという。

「理由は分からないのですが、そういう夢を頻繁に見てしまいます。(毒親の)後遺症かは分かりませんが、影響が残っているのかもしれません」
なお職場に連絡されることなどを恐れ、母親と完全に縁を切るようなことはできていない。
母と同じことを繰り返すかもしれない
もちそばさんは結婚を前提とした彼氏がいるが、自分が母親と同じことを繰り返すのではないかという恐怖から、子どもは望まないという。これからの目標は、自分が経験したことを繰り返さないように一般的な親子の関係性も学ぶことだという。

知ってほしいのは、血のつながった親子でも関係が壊れてしまうことはあること。子どもは毒親から逃げ出すことが難しいといい、こう話した。
「私は大人になって物理的距離がとれていますが、中高生などでは離れたくても、経済的に親から逃げられない子どもたちがいると思います。そういう子どもたちが私のように精神的に壊れる前に、救われる場所があってほしいと思います」
普通に見える家庭でも、何かがきっかけで毒親が生まれてしまうことはある。もちそばさんの場合は母親の離婚が引き金となり、自分が親になることに恐怖を感じるまでの影響が出た。
子どもは親の所有物ではない。自分の行動や言動により、子どもが大人になっても消えない傷を残すかもしれないことを今回の2人の体験談から学ばなければならない。
※本記事は、もちそばさんのインタビューをもとに構成しました。
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例
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