スキージャンプのW杯で、12月13日に今シーズン2回目の優勝を飾り、通算勝利数を21に更新した小林陵侑、25歳。

北京オリンピックでメダルの期待がかかるアスリートの一人だ。

2018年の平昌オリンピックでは、初出場ながら日本人最高の7位に入賞。11月の新型コロナウイルス検査でウイルスが検出されるという事態に見舞われるが、順調に結果を残し、記録を更新し続けている。

中学時代は“二刀流”

岩手県・八幡平市出身の小林。

5歳でスキーを始めた小林は、県境を越えた秋田県・鹿角市の花輪スキー場で人生初めてとなるジャンプを飛んだ。

地元の松尾中学校に進学すると、スキー部に所属。

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中学時代の小林は、ジャンプと複合の2競技を経験。全国中学校スキー大会ではジャンプと複合で2冠も獲得している。

小林を指導していたスキー部監督の永井陽一先生は、「クロスカントリーは板が細いので、バランス能力の練習にもなる。それが今のジャンプに生かされていると思います」と話した。

ほぼ毎日のように練習を見ていたという永井先生。「冬には試合が始まっている。夏のトレーニングが一番大事」という教えは、小林が書き残した卒業文集にしっかりと刻まれていた。

「先生に“冬に力を出すには夏の努力が一番大切”だと言われて、それから朝練と放課後練習頑張りました」(卒業文集より)

“レジェンド”の指導を受け、より成長

高校卒業後、小林はスキー部の名門、土屋ホームに入社。そこは現在49歳で現役を続ける葛西紀明が監督も務めているチームだった。

高校時代の小林のジャンプを見た葛西が「すごく強い海外のトップ選手のジャンプ姿勢に似ていて、うちのチームに入って欲しい」と思ったことが2人の出会いだった。

そんな小林が大切にしているものは「赤いヘルメット」。

名前の頭文字「R」がペイントされたヘルメットは、葛西が「土屋ホームスキー部に入ってきたときにカスタムペイントをしてプレゼントしたもの」だった。

小林の才能が葛西の目に留まり、その才能に惚れ込んだ葛西は自らの知識を惜しげもなく伝えていく。

また競技以外の場でも葛西は社会人としての姿を小林に見せていった。

受け継がれていく「赤いヘルメット」

こうした叱咤激励を受けながら、2021年に小林は、葛西が持つW杯勝利数を塗り替える快挙を成し遂げた。

小林の成長ぶりに葛西は「教えすぎたってのもあります」と苦笑しながらも「陵侑に勝てば世界一になれるんじゃないかって、そういう気持ちでトレーニングを積んでいます」と“レジェンド”も刺激を受ける。

一方の小林は葛西のことを「“師匠”というのが一番しっくり。人生で一番影響を受けた人かもしれない」と明かした。

“師匠”からもらった「赤いヘルメット」は、小林にとって「社会人として、一人のジャンパーとして認められた」存在だという。

葛西も「うれしい顔を見たいという気持ちと頑張ってくれという気持ちを込めてプレゼントしました」と明かすが、その赤いヘルメットは今、小林のもとにはなかった。

兄のヘルメットを受け継いだ弟・龍尚
兄のヘルメットを受け継いだ弟・龍尚

今、小林が大切にする「赤いヘルメット」を持っているのは、小林の弟・小林龍尚、20歳。世界で活躍する兄や葛西に憧れて、同じチームで練習しているという。

兄・陵侑が赤いヘルメットを宝物のように大切にしていたことを知っている龍尚は「すごくうれしそうに家族のLINEにも写真を送ってきたのを覚えています」と話す。そして「兄なので一番近い存在ですけど、目標の選手でもあるし、憧れの存在」と語った。

それぞれの思いを背負って挑む北京オリンピック。

葛西は「一番輝いた“金メダル”を獲って、僕らに見せて欲しいと思いますね。持ってきた瞬間にかじってやりますから」と冗談を交えつつも、小林の活躍を期待する。

一方の小林は「監督の分まで、監督が目指している“金”を僕が目指していきたい。昨日、『1個くれ』って言われたんですけど、(監督に金メダルを)かけてあげたいなって思います」と、師匠への思いを明かした。

勝利を積み重ねてきた4年間。日本のエースへと成長した小林の、北京オリンピックでの活躍に期待したい。