8月14日、日本のバレーボール界を引っ張ってきた福澤達哉が、コートを去った。

大学卒業後にパナソニックパンサーズに所属すると、3度にわたるチームの年間タイトル3冠達成に貢献。自身も幾度となくMVPやベスト6に選ばれるなど、常に第一戦で存在感を発揮してきた。

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2005年から日本代表に選ばれ続けた福澤だったが、7月に東京オリンピックのメンバーから落選。直後に引退を発表した福澤の、最後の試合を追った。

「福澤が支えてくれたから」

東京オリンピックで29年ぶりに決勝トーナメントに進出し、大躍進を遂げた日本男子バレーボール。

チームが歓喜に沸く中、最年長の清水邦広は試合後、次のように語っていた。

「福澤が支えてくれたから、今こうやって東京オリンピック(の舞台)に立てていたと思います」

清水が支えられたと話した盟友・福澤の姿は、今大会コート上にはなかった。

2008年の北京オリンピックに、清水と共にチーム最年少で出場した福澤は、長年にわたりエースとして戦い、その姿は若手の「道しるべ」となっていた。

現在の日本代表の主将・石川祐希も、18歳当時、「福澤さんみたいになりたいと思っています。ジャンプ力があるし、鋭いスパイクが打てるので」と強い憧れを示していた存在だ。

目指していた「東京五輪で現地集合」

福澤と清水は共に1986年生まれの同い年で、大学生のときから代表で戦い、2009年にパナソニックに入団。オリンピックの出場権をロンドン・リオと2大会連続で逃した時も、清水が右ひざ前十字じん帯断裂という選手生命を脅かされるような大けがをした時も、支えあってきた。

そして、そんな2人が集大成として目指していた、東京オリンピック。 

「(東京オリンピックで)現地集合できたら最高やな」と話す福澤に、清水は「ベテランの意地、底力をみせよう」と力強く返していた。

しかし若手の台頭により、福澤は大会直前に日本()代表から落選。そして現役の引退を決断した。

7月に行われた引退会見では、「(清水との約束だった)現地集合を叶えることができませんでした。清水なら必ずやってくれるかなと思います」と涙を見せた。

そんな福澤の思いを背負い戦った清水は、オリンピックで気迫のプレーを見せ、29年ぶりのベスト8に大きく貢献した。

共に立つ最後のコート

そしてオリンピック終了から6日後の8月14日、福澤の引退試合が行われた。

盟友・清水と2人でコートに立つのも、これが最後だ。感謝の思いをプレーで伝える姿に、集まったファンの中には涙を流す人もいた。

「最後こうして温かく送り出していただけることに、本当に感謝しています」

福澤は、晴れ晴れとした表情でそう語った。

試合後のセレモニーで、清水は涙を見せながら冗談めかしてこう語った。

「親友を通り越して、家族通り越して、これは恋愛以上、僕はもう結婚したいと思うぐらい本当に、福澤のことが好きです。これは言いたくないんですけど、本当にお疲れ様でした」

福澤は照れ笑いのような笑顔を浮かべながら、「ありがとう」と口にして、清水と強く抱擁した。

「人生の中で一つの目標に向かって、同じ気持ちをもって10年以上やり続けることってないと思うんですよね。清水がいたから、大げさでもなんでもなく、だからこそ諦めずにやってこられたんだなと強く思います」

セレモニーでは2人でのウエディングケーキ入刀というサプライズもあった。

「今後は社業に専念して新たな人生をスタートする予定」という福澤と、現役を続ける清水との関係は、これからも続いていく。