人はある日突然、障害者になる。

その時、その事実を受け入れ、前向きに生きることはできますか?

突然、車いす生活になった20歳の若者がスポーツを通して心身共に大きく成長した1年に密着。前編では車いすマラソンに出会い、のめり込んでいく姿を、後編ではレース出場を果たし、日々成長していく姿と、厳しくも愛情深く接する父親の思いに迫った。

息子を陰から見守る父の思い

目標であった1時間切りは果たせなかったものの、上々の成績を残した初レースの後、結一さんの父・洋樹さんに話を聞いた。頑張った息子に会おうとしなかったからだ。そこには息子の将来を考えた、父親の深い思いがあった。

父・洋樹さん
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「本当に結果を出してすごいなと思ったんですけど、それを聞いて1週間ぐらい何も言わなかったんです。1週間後、別の件で息子と話す機会がありまして、その時に僕が思っていることを言いました。

『人に応援されるためにやってるんじゃないやろ。親が応援するためにやってるんじゃないやろ。自分のためにやっているんだよね』と。それがわかってほしいから、お父さんはあえて『おめでとう』も『頑張ったね』とも言わない、と」

そう話した父に結一さんは「わかってるよ」と頷いたという。

ホンダ太陽で練習する結一さんと師匠たち

2019年9月、結一さんは休む間もなくトレーニングを再開。初レースの結果に満足できなかった結一さんのストイックな姿勢に共感したホンダアスリートのメンバーが、バックアップを続ける。

車いすマラソンの父・中村裕博士が設立した障害者自立施設「太陽の家」と、ホンダの創業者・本田宗一郎との出会いから生まれた、本田技研の特例子会社「ホンダ太陽」。そこに2000年、国内初の障害者スポーツ実業団クラブとして創設されたのがホンダアスリートだ。

障害者スポーツの世界で常に結果を求められ、応えてきた実力者集団だ。

ここで結一さんは、教えてもらったことを練習で実践するだけではなく、自分のものにして自分の身体に落とし込むことをひたすら続ける。なぜなら、障害のレベルや個々の能力も違うため、人のコピーでは駄目だからだ。

初レース後、トレーニングに打ち込む息子の姿に父・洋樹さんも「もともと集中力の高い子でしたし、負けず嫌いなところがあるので、悔しいと思ったりすると力が出るんじゃないですか」と陰ながら見守る。

その後、兵庫の大会では1時間4分49秒という結果を出した。このレースで結一さんは折り返しで転倒し、前輪もパンクするというアクシデントがありながらも、初レースから1カ月で2分近くタイムを縮めた。

日々、成長する息子を頼もしく思いながらも、結一さんの将来を考え、父・洋樹さんはあえて我慢を続けていた。

「背中を押してやりたいし、毎日でも見に行きたいけど、あえて表に出ないようにしています。あの子自身の問題ですので。親はいついなくなるかわからないから。あの子1人で生きていかないといけないので、あえて心を鬼にして、見たいけど見ないふりをしています」

息子、兄の頑張りに家族も涙

ストイックにトレーニングに打ち込み、速さを追い求めてきた結一さん。

この1年の集大成は、2019年11月17日の大分国際車いすマラソンだ。

「55分を切れればいい」と、また高い目標を掲げる結一さん。「家族は応援に来ていない」と彼は言うが、レースコースの沿道には父、母、弟、妹、祖父母の姿もあった。

父・洋樹さんは結一さんと会うことを家族みんなに止めていたが、その洋樹さんが我慢できなくなったという。

「結一、気づくかな」と沿道でそわそわする洋樹さん。「ここで身を乗り出して、みんなで名前を言わないと気づかないんじゃないか」と一番、張り切っていた。

「私から見て、今までのあの子は全部中途半端だった。ところが、今回は車いすマラソンにハマってやっているなと思って。2カ月前に(この大会のことを)聞いてすぐ、思いつきました。サプライズで応援に行くと。家族全員に黙っておけよって。何日か前から、会えると思ってテンション上がっています」

弟・真聖さんも「楽しみです。普段あんまり兄貴のそういうところを見ないので」と、結一さんの“アスリート”としての顔を見たいと期待した。

リハビリ目的のランナーから世界で戦うトップアスリートまで、大分の大会には車輪の数だけドラマがある。それぞれの思いをハンドリムに託し、大会の幕が開いた。

大分国際車いすマラソン大会には42.195キロのフルマラソンと、21.0975キロのハーフマラソンがある。また、車いす陸上では脳に障害のあるT30番台(脳性麻痺・脳血管障害など脳に障害の原因がある機能障害)と、脊髄損傷や切断など運動神経に障害があるT50番台に大別される。

さらに競技の公平性を期すため、障害のレベルが同等となるようにクラス分けが行われ、そのクラス内で順位を競う。

大分のような国際大会では、「T51」「T33・T52」「T34・T53・T54」の3クラスに分けられ、障害のレベルが最も重いのがT51、次いでT52、T53とレベルが軽くなり、最も軽度な障害、つまり足が使えないなど以外は健常者と何ら遜色ない最速のクラスがT54になる。

結一さんのクラスはT53。ハーフマラソンで初めて大分を走る。

息子の成長を感じる父

結一さんを応援する家族たち

沿道では各選手の番号に目を凝らし、家族一同で目の前を走る選手の中に結一さんがいないか追いつづける。

目の前を何台もの車輪が一瞬で駆け抜ける中、結一さんの姿が見えると、「頑張れ、頑張れ」と声を張り上る。「目が合いました。完全に私に気付きました。本人はびっくりしたと思いますよ」洋樹さんは興奮しながら嬉しそうだ。

洋樹さんは結一さんを追いかけるように移動して、次のポイントでも待ち構える。過酷なレースに挑む息子の姿に感極まる洋樹さん。弟・真聖さんも「泣きそうになりました」と目頭を押さえ、兄の姿に家族たちは皆涙ぐんだ。

途中から結一さんは一人で走っていた。

風よけの協力やけん制し合うなど駆け引きはまだできない。他人のペースに合わせることを考えていないのかもしれない。今持てる力のすべてを出し尽くし、その結果を、今の実力を知りたいのだ。

ゴールには移動してきた家族の姿もあった。最後の力を振り絞り結一さんは22位、55分15秒でゴールした。

レースを終えて結一さんの元へ駆けつけた家族たち。洋樹さんは「ご苦労さん」と笑顔で手を差し出し、結一さんと握手する。

「力がみなぎったか?」「真聖が泣いとったで」と結一さんに話し続ける洋樹さん。しかしフルマラソンのトップの選手がゴールし始めると、結一さんはそちらの様子の方が気になり、真剣な表情で見つめていた。

レースを終え、トップ選手と話をしている結一さんの姿を見た洋樹さんは、自分の知らない息子の顔や成長した姿をこう語った。

「昔から無愛想な子だったので。あんな顔で人と話すことが出来るようになったのはびっくりしましたね。集中できるものを見つけることができて良かったと思います。あまり言わないんです、自分のこと。

でも車いすマラソンのことに関しては、『ちょっと頑張りたい』って言いました。そういうことをあまり言う子じゃないので、びっくりした。今回初めて応援に来ましたけど、これからは応援に来ようかなと思いました。あの子が何を言おうが。『来るな』というと思いますけど、“来て欲しい”の裏返し」

結一さんにも沿道で家族の姿を見かけたときのことを聞くと、来ると言ってなかったので驚いたそうだ。「声でわかった」と言い、「少しは力になった」と笑顔を見せた。

人はある日突然、障害者になることもある。

その時、どれだけの人が前向きに、ポジティブに生きることを選択できるか。結一さんは生きがいを見つけ、その結果家族の絆は深まり、一歩前に進むことができた。

この大分で、また一人“車輪のアスリート”が誕生した。

(第29回FNSドキュメンタリー大賞『車輪のアスリート~20歳の若者が生まれ変わった1年』)