日本一高い富士山に見守られる、日本一深い駿河湾。

水深200メートル以上の深海で優雅に泳ぐのは、その美しさから駿河湾の宝石と呼ばれるサクラエビだ。

この記事の画像(30枚)

しかしここ数年、そのサクラエビの姿をあまり見ることができないという。 

“宝石”はどこに消えてしまったのだろうか。

唯一サクラエビ漁が行われる駿河湾

静岡県清水区由比。江戸時代には東海道の宿場町として栄えた、人口約7700人の町だ。

日本で唯一サクラエビ漁が行われる駿河湾で、漁の許可証を持つのは120隻の船。

漁は1つの網を2隻が組みになって曳く「2そう曳き」で行われる。

日中は、水深2300メートルにいるサクラエビだが、夕方から夜にかけ、餌を求めて水深20〜60メートルまで浮上する。

漁師はそのタイミングを狙って、一斉に船を出す。

漁の時期は、春と秋の2回。最盛期は、年間50億円以上の水揚げがあったという。

由比のサクラエビ漁船「高由丸」の4代目船長、宮原吉章さん(取材当時49歳)は、漁協の組合長を父に持ち、若手を取りまとめるリーダーだ。

しかしこの日乗り込んだのは、船ではなくトラック。

向かったのは海ではなく、50キロ離れた隣の港だ。

サクラエビは、由比と大井川で水揚げされ、競りも両方の港で行われる。そのため由比で水揚げがなかった場合、大井川のサクラエビを由比まで運ぶ必要があるのだ。

海に出られない漁師

2019年。由比の漁師は、秋漁が始まってから、まだ一度も漁に出ていない。サクラエビを運ぶことだけが日々の仕事だ。

目の前の海から、サクラエビが姿を消してしまったのだ。

漁師だが海に出られない状況に、「秋漁は1回も網を投げていないので寂しいですよね」と嘆く宮原さん。

今から30年ほど前は、サクラエビは豊漁で市場に入りきらないほどの収穫量を誇っていた。

1987年の市場

当時年間3000トンあった水揚げは、ここ数年は数百トンまで落ち込んでいる。

漁師たちは、資源回復のため2018年の秋漁を中止。2019年は夏の産卵数が良かったため、秋漁を行うことを決めたが、海域ごとに規制をかけることにした。

駿河湾を湾南・湾中・湾奥の3つに分け、それぞれが漁を行うか判断。宮原さんたち由比の漁師が主に漁をするのは、湾奥と湾中だ。

湾奥は、サクラエビの産卵場所にあたるため、子供のエビを獲らないよう最も厳しい規制が敷かれた。

秋漁が始まる前、漁ができるほどサクラエビはいるのか調査すると、獲れたのはたったの一匹だった。

宮原さんたちの表情は険しい。

サクラエビ加工業者も苦境に

不漁にあえぐのは、漁師だけではない。

明治時代から続くサクラエビの加工業者「原藤商店」。15代目原藤晃さん(取材当時39歳)が競りに向かうと、大勢の顔なじみの姿があった。

競りの相手は、100人の仲買人や加工業者だ。

サクラエビの状態を見極め、1籠15キロの入札価格を決めていく。しかし、その日の価格は7万5890円から7万3980円。あまりの高額に、競り落とすことはできなかった。

原さんは原藤商店のすぐそばに、サクラエビ、黒はんぺんなどの名産品や、地酒も販売する「由比むつみ市場」も経営している。

コンビニの商品開発に携わった過去を持つ原さんは、その経験からオリジナル商品のサクラエビ入りグラタンを作り、人気を博している。

原さんは不漁の状況について、「サクラエビがいつまでも獲れるような状況ではないと覚悟しながら進めていたが、まさかこんな急に獲れなくなるとは。それぞれの企業がどうやって生き残っていくかという選択肢をそれぞれに選んでいる」と語った。

原さんの妻も、「こんな広い場所で、どういう風にサクラエビに携わって商品を販売していくのかなっていう不安はあった」と胸の内を明かす。

地元の調査機関が行ったアンケートでは、サクラエビを扱う加工業者29社のうち、約4割が廃業を検討。

サクラエビの町が、かつてない危機に直面していた。

サクラエビ漁師の宮原さんは、日中、郵便局で働いている。

漁師の多くは、生活のため兼業している。漁師としての収入は、不漁になる前の3分の1まで減ってしまったという。

由比で育った宮原さんは、大学卒業後、機械メーカーでサラリーマンとして働いていた。妻・直美さんは、当時の職場の同僚だ。

直美さんは、介護施設で週4日の勤務をしているが、「頑張らないと、漁もないし」と5日働くことにしたという。

それでも収入面は厳しいが、宮原さんは、「1日やらせてもらえる仕事もあるので、まだいい方だと思う」と話す。

乱獲を防ぐため導入された“プール制”

今から120年以上前の1894年。由比の漁師・望月平七さん(1853~1931)がアジ漁に行った際、たまたま大量のサクラエビを引き揚げた。

1年後には40隻が漁法を習得し、サクラエビの存在が瞬く間に広がっていった。

しかし1960年代になると、漁船同士が激しく競争。サクラエビを獲りすぎるようになったため、キロあたりの単価は低下し、次第に生活を圧迫するようになる。

「売り上げを平等にしたらどうか」

そんな漁師の提案から、水揚げの合計金額を、漁に出た船で均等に分配する“プール制”という方法を導入し、現在は120隻で分け合っている。

プール制導入前の価格は、1キロ70円から120円だったが、導入後は250円前後に跳ね上がり、その後「資源管理の模範」と言われてきたこの制度。

しかし今、地元のスーパーで多く扱われているのは台湾産だ。

由比産のサクラエビが不漁で入荷も無いことから、代わりの台湾産を並べるまでになってしまったというのだ。

2019年秋漁の水揚げ量は89トンと、前回の3割にとどまった。

宮原さんは「大井川の方でも頑張って漁をしてもらったけど、思うような量は獲れなかったですね。今年はこれで漁が終わってしまったので」と残念な表情を見せる。

厳しい規制が敷かれた湾奥。由比の漁師は、一度も漁に出られなかった。

2020年元日も、宮原さんは郵便配達をしていた。

黒潮?餌?不漁の原因は

不漁の原因はどこにあるのか。県の研究所は、1つの仮説を立てた。

県水産技術研究所の花井孝之研究総括官(当時)は、「黒潮で、せっかく生まれた卵が流れ去ってしまう。2008年の黒潮の流れの変化で、卵が湾の外で流され、だから不漁になったのではないか」と説明した。

水深約300mを泳ぐサクラエビ

一方、別の見方をする専門家もいる。

静岡大学(海洋生物地球化学)鈴木款特任教授は、「餌の問題が最大の問題」との認識を示す。

駿河湾の水深300メートルで撮影された映像では、サクラエビが大型プランクトンのオキアミを食べる様子が映し出されている。サクラエビは、オキアミのような動物プランクトンや植物プランクトンを餌にしているという。

鈴木教授は、温暖化との関係など、餌をめぐる詳細な調査の必要性を訴え続けている。

漁師たちが指摘する別の要因

一部の漁師は、別の要因を主張。

駿河湾へと流れ込む富士川の濁りが、サクラエビに影響を与えているのではないか、というものだ。

富士川支流の早川上流にある雨畑ダムには、多くの土砂がたまっていた。

視察に来た静岡県の川勝平太知事も「明らかに色が違う」と、上流から下流へ濁りが続いていることを確認した。

濁りの影響を確認している専門家・東京海洋大学荒川久幸教授は、濁りが原因で光りが海中まで届きにくくなり、植物プランクトンの光合成が阻害されることや、栄養の取り込みが悪くなる可能性を指摘する。

静岡市は、海の中はどんな状態なのか駿河湾の10地点で海水を採取し、水質を調査。さらに水中カメラで撮影し、濁りの状態を確認した。

その結果、駿河湾へと流れ出る富士川河口の海面近くで強い濁りが確認された(有害物質は検出されず)。

一方、サクラエビ研究の第一人者である東京海洋大学の大森信名誉教授は、海の環境変化とともに、ある別の理由を指摘する。

「獲りすぎが起きてしまうんですよ。特に、春のエビを限界近くまで獲ってしまったと」

駿河湾に入るサクラエビの全体量に対し、春漁で8割以上を獲ってしまっている可能性があるとしている。

「価格や加工業者の要請などが漁業量を決めるファクターになってしまっている。サクラエビが資源ではなくなってしまっている」

不漁でも漁師を続ける理由

宮原さんには、不漁の原因が分からないままでも、漁師を続ける理由がある。

もともとアジの漁師だった宮原家。宮原さんの曾祖父の代から、サクラエビ漁も始めた。

宮原さんには、2つ上の兄・直宏さんがいた。

母・清子さんは、「吉章と直宏はすごい仲よかったの。どこに行くにも吉章は『兄ちゃん兄ちゃん』って言うし、直宏も『おい、ヨシ行くか?』って」と、昔を振り返る。

直宏さんは高校卒業後、宮原家の長男として船に乗っていたが、兼業していた建設の仕事で事故に遭い、命を失った。

跡継ぎを失った宮原家。

清子さんが、「高由丸は終わりだね」と言うと、宮原さんは「自分がいる。会社を辞めて継ぐから心配しなくていい」と言い、会社を辞めたという。

直宏さんの仏壇に向かい、「2人だけの兄弟。大事な存在だから、いつまで経っても忘れられない」と、宮原さんは語った。

直宏さんの息子・勇人さんは、父を亡くしてから、宮原さんの背中を追いかけてきた。

「父といつか漁をやってみたいなと思ったけど、叶わなかったんですよね。でもその代わりによっちゃん(宮原さん)が親父の代わりをしてくれてるから、家族のために、俺が守らなきゃいけない」

勇人さんにとっての恩返しは、一人前の船長になって皆をまとめることだ。

禁漁区をめぐる由比と大井川の主張

目前に迫った春漁。由比と大井川のサクラエビ漁師たちが、禁漁区を決めるために集まっていた。

由比の漁師からは、「とても網を入れられる状況じゃない」という声が上がると、大井川の漁師は、「禁漁区と言って、大井川の海域を何年も痛めつけている」と主張。

皆の生活がかかっている。声が大きくなることもあった。

会議の結果、これまでの規制を緩め、秋漁で手をつけなかった湾の奥でも一部漁を行うことになった。

2020年4月、解禁となった春漁。サクラエビはいるのだろうか。

宮原さんは、今季から漁が行えるようになった湾の奥へと向かった。

高由丸が獲った1年ぶりのサクラエビはわずか70キロ。小魚も混ざり、決して質が良いとは言えない。

「駄目だな」

そうつぶやいた吉章さんの表情は暗い。ここまで漁に出ず我慢したにもか関わらず、先が見えないからだ。

春漁初日の水揚げ量は、不漁だった前の年をさらに下回り、その後も振るわない日々が続いた。

次の世代に託す希望

観光客を呼び戻そうと、原さんは店の改装を始めた。

由比の名所や、店舗の写真を撮影してまとめた観光マップも展示する。

今では使われなくなった加工機材をお店の一角に置き、長男・藤純くんに使い方を教える原さん。代々原藤商店の店主に付けられている「藤」の文字を受け継ぐ長男だ。

将来何になりたいか尋ねると、返ってきたのは「サクラエビを売る人!」という頼もしい言葉。

原さんは、初めて聞く藤純くんの思いに、喜びを隠せない。

「地元のものに感謝しながら歩める人生を豊かに感じているので、そういうものを伝え、実行できる人生を見せられたら」

サクラエビが獲れる日まで

「漁師は、魚を獲っていればよいという時代ではない。彼らにもサクラエビについての広範な知識を共有し、自ら資源の動向を意識し、研究して漁獲活動に生かしてもらいたい。
サクラエビは静岡県だけにしかない宝である。皆がその資源回復を願っている」

長年サクラエビの研究に携わってきた大森教授から、漁師に向けたメッセージだ。

漁協は今、専門家と協力してプランクトンの調査を始めている。もちろん宮原さんも積極的に関わっている。

「俺の台が終わってゆうとのだいまでずっと続けてほしいし、続いていってほしい。獲ってきたものをみんなが笑顔で食べてくれたら、僕らにとってこれ以上無いことなので」

大漁の日はいつになるのか。漁師たちの奮闘は続く。