サガテレビでは今年も戦争を経験した人達の証言をシリーズでお伝えしていきます。12日は伊万里市の85歳の男性。
33歳で戦死した父が戦地から送った手紙やはがき。そこには、ほとんど会うことができなかった息子への愛がつづられています。
【渡邊忠篤さん】
「お父さんって呼んだことがない。1回は会いたかった」
伊万里市に住む渡邊忠篤さん85歳。1944年の太平洋戦争中、日本軍が現在のインド北東部の攻略を目指して行ったインパール作戦で父・八郎(はちろう)さんを亡くしました。渡邊さんは当時まだ3歳でした。
【渡邊忠篤さん】
「全然会ってない。親父のと思い出は全くない」
父を知らずに生きてきた渡邊さんは、30代のときある決断をします。
【渡邊忠篤さん】
「親父が33歳で亡くなった。自分が同じ年齢位になってから親父の遺骨収集をしてみようと思った」
はじめに向かったのは太平洋戦争の激戦地グアム、サイパン、テニアン。その3年後には、父が亡くなったビルマにも足を運び、現地で見た光景に衝撃を受けたと言います。
【渡邊忠篤さん】
「最初は恐ろしかった。こんなに遺骨があるのかとびっくりするくらいに遺骨があった。最終的には班で1万3000集めた」
渡邊さんは、父が生きた証だけでも残したいと思い自分が見た光景をカメラに収めました。
【渡邊忠篤さん】
「大体この辺だろうというとこまでは行ってここでこういう風に死んだんかなと感動して、涙ぽろぽろ。しばらくは動けなかった」
遺骨収集で収めた現地の写真のほかにもう1つ大切に保管されているものがあります。
【妻・初枝さん】
「お母さんの形見です」
Q何通くらいある?
「180くらいあった」
それは、父が戦地から家族にあてて書いた手紙です。今でも約180通が残されています。手紙はもともと、渡邊さんの母・シゲノさんの棺に入れられる予定でしたが、渡邊さんの妻・初枝(はつえ)さんの考えで残すことにしました。
【妻・初枝さん】
「燃やしてしまったら子供や孫には何もないから」
【渡邊忠篤さん】
「とにかく小さく書いてあって分からん読みづらい」
どの手紙も、小さな文字でびっしりと埋め尽くされていて、その多くは、息子の忠篤さんのことがつづられています。
「きょうは二十五円家に送金」
「忠篤に何か買ってやってください」
「七月七日は忠篤の誕生日心ばかりのお祝いをします」
渡邊さんはこの日、ほぼ初めて手紙にじっくりと目を通しました。
【渡邊忠篤さん】
「感激。よっぽど可愛かった。目に入れても痛くない感じだったろうか。1回は会いたかった」
一方、手紙の中には、同じ地区の仲間の死など父の苦しい心境も綴られています。
「前田君の死」
「神を詣り崇拝する」
当時、軍事機密などが漏れないよう手紙の中身は検閲され軍の作戦や戦況が分かるものは黒塗りにされています。
これらの悲惨な戦争を二度と繰り返さないよう渡邊さんは8月、語り部として活動を始めました。これからは若い世代に向けた発信方法を模索します。
【渡邊忠篤さん】
「終戦81年もうじわじわ風化している。若い人にどうして伝えるかを今模索している。とにかく若い人につないでいかないといけない」
