国会議員ってどんな人?我々政治記者がよく聞かれる最も素朴な質問だ。
熾烈な選挙を勝ち抜いてきた国会議員たちには、全国的な知名度はなくとも、驚異的な能力・特技を持った人や、人間味に溢れた魅力的な人が多い。
フジテレビ政治部は、そんな“知る人ぞ知る”国会議員にバトンリレー形式で連続インタビューし、「日本の国会議員」の実像をお伝えする。
「永田町バトン」第6回の阿部圭史議員からバトンを引き継いだのは、衆院議員2期目、国民民主党の深作ヘスス議員(41)。
与党の議員でつながれてきたバトンが初めて野党側に回ってきた。外交の場で活躍していた若者がなぜ野党の議員になったのか、その理由に迫る。
地元では「ヘスス前集合」の言葉も
2024年の衆院選で初当選した深作ヘスス議員。
母親の母国であるペルーで生まれ、神奈川・川崎市で育った。
地元の小中学生が放課後に深作さんのポスター前に集まることを「ヘスス前集合」と呼ぶなど、その名前は親しまれている。
「ヘスス」は南米では太郎のようによくある名前の一つだと語る。“JESUS”と書き、聖書に由来する。母親はカトリックだというが、自身の宗教観は異なる。
「自分自身はカトリックであるという認識はあまりない。むしろ年末年始はお寺、神社を回って、どちらかというと神道とかの方が気持ちは近い。名前ヘススですけどね」
ペルー生まれではあるが、ペルーを訪れたのは成人してから2度ほど。母親はテロが頻発していた時代に母国から離れた。深作さんにとって、ペルーはルーツではあるが、身近な存在と言い切れない。
「母のルーツ、自分のルーツでもありますから、ニュースが入ると気になるが、自分自身が生活した経験とか、目の前で浮かんでくる情景があるわけではない。母親は、怖い国というイメージがあって、むしろ戻りたくないと。特別ではあるけれども、深いところでもない。難しいところですね」
中学生の頃からカメラっ子「何を切り取るかに喜びを」
深作さんは、大のカメラ好き。ウェディングフォトグラファーの会社を営んでいた叔父の影響もあり、中学生の頃からカメラに親しんできた。
高校時代には、フィルムのカメラを持って学校に通い、同級生を撮ることに夢中になったという。被写体は基本的に人で、「自然な瞬間を切り出すような写真が好き」と語る。
写真に惹かれたのは単なる撮影という行為だけではない。
「自分の切り取り方によってメッセージが変わることに魅せられていた」

高校3年生のとき、アメリカ同時多発テロが起きる。テレビに映る映像を見ながら「なぜ自分はあの場でカメラを回していないのだろう」と不思議な感情がわいた。
そこからフォトジャーナリストを志した。その道に進むことはなかったが、社会課題に光を当てたいという思いは今の政治活動にも通じている部分がある。
「何か課題に光を当てて、そこを浮き彫りにして社会にこれを明らかにしていく。改善に向けた一つの一歩だと思うので、そういったところにはもう昔から何かしら思いはあった」
国会議員の原点は“コバホーク”と同じ
ペルーにルーツを持ちながら海外に住んだことがなかった深作さんは、アメリカの日本大使館で働き始める。
国際イベントの調整役などを担っていたという。業務外でカメラマン役を任されることもあり、趣味で培った腕前を活かしていた。そこで政治家を志す原点となる出来事がおこる。
2009年、鳩山由紀夫首相(当時)が米軍普天間基地の移設先について「最低でも県外」と発言したことで、日米関係が大きく揺れた。
「外交の中身を触る立場にはなかったが大激震だった。一言で信頼がこんなにも崩れていき、関係が危ぶまれ、それがイコール国民の生命財産を守っていく礎である日米関係を毀損しうるんだということを目の前で見た」
この出来事は自民党の小林鷹之政調会長にも大きな影響を与えた。財務省から出向していた小林氏は「米軍普天間基地を巡るトップリーダーのたった一言で日米関係が崩れていくのを肌で感じた」という。
「小林さんと同じ原点があって、やはりみんな同じ思いを現場で抱えてたんだなと」

ただ、小林氏が自民党からの挑戦を決意したのに対し、深作さんは別の結論にたどり着いた。
「僕は逆なんですよ。野党がまともな外交安全保障政策ができないと対案を示すこともできない。批判だけの政治になってしまう」
野党の立場から外交・安全保障政策に関わる必要性を感じたという。当時の国民民主党について「支持率は0.9%でした」と振り返る。それでも深作さんは国民民主党からの出馬を決めた。
「自分が掲げた旗、国民民主が正しいと信じて活動していこうと思って今もいます」
議員同士の夫婦 多忙な日常の中の“こだわり”
深作さんは今、外務委員会に所属している。他国との関係で政府や与党や政府の立場では言いにくいことを、野党として国会で指摘することに意義があると考える。
「主張を議事録に残し、議論されたらその国の大使館が必ず見る。野党の役割を認識しながら活動している」
私生活では、妻が市議会議員で、夫婦ともに多忙。近所に両家の両親が住んでおり、子育てなどを支えてくれているという。「今の家庭はみんな大変だから」と前向きに語る。
そんな忙しい日々の中でもこだわりを持っているのが靴下。
「男性はスーツで何も代わり映えしない。遊べるところって靴下くらいしかない」
予算委員会で高市総理に質問する時は、総理が掲げる“咲き誇る日本外交”というテーマに沿って花柄の靴下を選んでいるという。
増え続ける靴下コレクションに唯一苦言を呈しているのは妻だという。しかし、取材当日、深作さんが履いていたのは、その妻から最近プレゼントされたオランウータン柄の靴下だった。
「日本に生まれてよかった」と思える国へ
深作さんは「日本に生まれてよかった」と話す。
深作さんは、テロが頻発していたペルーで生まれ育った母親から、日本で育つことの恵まれた環境を繰り返し聞かされてきたという。

「今の若者は、失われた時代で借金を背負わされている。でも、この国に生まれるのは本当に素晴らしいこと、世界の中でアドバンテージのあること。それが実感できない。どうやったら実感につなげられるのか」
将来への希望を見いだしにくい今だからこそ、「日本に生まれてよかった」と思える国をどうつくっていくのか。そのバトンを担う深作さんの挑戦は続く。


